

神聖ローマ帝国にはたくさんの“自立した都市”が存在しましたが、その中でもとくにややこしいのが「自由都市」と「自治都市」の違い。どっちも皇帝に頼らず自分たちで運営していたように見えるけど…実際には微妙な違いがあるんです。
この記事では、この2つの都市の違いについて、身分・法的地位・政治的意味合いの3つの観点からわかりやすく解説していきます。
「自由都市」は神聖ローマ帝国特有の都市ステータスで、実はかなり“お墨付き”の存在だったんです。

自由都市ニュルンベルク
神聖ローマ帝国において皇帝直属の自由都市として繁栄し、経済・文化・政治の重要拠点となった
出典:1493年『ニュルンベルク年代記』の木版画 / Public Domainより
自由都市(freie Reichsstadt)とは、皇帝に直属し、諸侯や教会の支配を受けない都市のこと。たとえばニュルンベルクやフランクフルトが有名で、帝国議会に議席を持つことすら許されていました。つまり、都市でありながら国家的な地位を持っていたんですね。
自由都市は独自の法律や裁判制度を持ち、税の徴収や軍事力の保持も可能でした。皇帝に税を納める代わりに、ほかの誰にも干渉されない──その意味で、半独立国のような存在だったのです。
一方で「自治都市」とは、もっと“地域に根ざした自立性”を持った都市でしたが、自由都市ほどの特権はなかったんです。
自治都市は、多くの場合、ある領主(伯爵や司教など)に属していたものの、内部の行政や商業活動については都市自身の判断で運営できる状態にありました。たとえば都市評議会や市長が選ばれ、外からの細かい干渉はほとんどなかったんです。
ただし、あくまで法的にはその領主の支配領域の一部。皇帝からの直接保護は受けておらず、帝国議会での発言権もありませんでした。つまり「政治的な独立」はなく、経済・行政レベルでの“自立性”にとどまるのが自治都市だったわけです。
| 自由都市 | 自治都市 | |
|---|---|---|
| 所属 | 皇帝直属(帝国等族の一員) | 領邦君主に属する |
| 対外的独立性 | 高い(事実上の小国家) | 限定的(領主の庇護下) |
| 帝国議会での地位 | 出席・表決権あり | 原則としてなし |
| 課税・軍役の相手 | 皇帝に直接 | 領邦君主に対して |
| 自治の程度 | 高度な自己統治が可能 | 制限された自治 |
| 例 | ニュルンベルク、フランクフルト、ハンブルク | 一部司教座都市、封建都市 |
神聖ローマ帝国の自由都市と自治都市、両者を分ける根本的なポイントを整理しておきましょう。 どちらも都市としての自律性を持ってはいたものの、その法的地位と政治的影響力にははっきりとした差があったんです。
最大の違いは誰に属しているかという点にあります。 自由都市は皇帝直属であり、法的には神聖ローマ皇帝の保護下にありました。これは、領邦君主の統治からは独立していることを意味します。
一方、自治都市はその名のとおり領邦諸侯や司教などの支配下にある都市で、形式的には都市自治を認められていても、主権者はあくまでその上位にいる領主だったのです。
自由都市は、他の領邦や都市に対して独立した都市国家的立場をとることができ、条約締結や外交交渉なども(一定の制限のもとで)自ら行う余地がありました。
一方の自治都市は、そうした対外行為を行う権限はなく、あくまで領主の方針に従う存在で、国際的主体とは見なされませんでした。

レーゲンスブルク市庁舎の帝国議会(1675年)
帝国議会では、自由都市も帝国等族として議席を持ち、皇帝・諸侯と並ぶ第三の身分として発言権を有していた
出典:Peter Troschel(著者) / Public Domainより
自由都市は神聖ローマ帝国の帝国議会(ライヒスターク)において「都市団(Reichsstädtekurie)」を構成し、発言権と投票権を有していました。 そのため、皇帝・選帝侯・諸侯と並んで帝国の構成員として正式に認められていたのです。
一方、自治都市は帝国議会に代表を送ることはできず、国政レベルの意思決定に参加する権利を持たないという点で大きな差がありました。
自由都市は、税金や軍役を直接皇帝に納める義務を持っていました。つまり、領主を介さずに、帝国の一員として直接的な責務を負っていたのです。 これにより、自由都市は独立した財政と軍事制度を持つ必要があり、徴税・防衛・傭兵雇用などを自らの判断で行っていました。
対して自治都市は、課税や軍役の要請は領主を通じて行われ、都市自身が判断する余地は限られていました。皇帝からの直接的な干渉は基本的に行われず、領主がその中継点となる構造だったのです。
自由都市では、市参事会(ラート)や市長(ブルガーマイスター)が主導して都市法の制定・裁判の執行・公共政策を行うなど、高度な自治権を行使していました。 治安維持から貿易規制、教育制度の整備に至るまで、自前で行政を運営できる体制が整っていたのです。
一方、自治都市にも一定の自治は認められていたものの、その多くは領主の干渉下に置かれており、都市法の制定や市役人の任命にも領主の承認が必要でした。また、裁判権も領主に制限されていることが多く、完全な自己統治とはほど遠い状態だったのです。
こうして見てみると、自由都市は帝国内でほぼ“半国家”とも言える地位を築いていたのに対し、自治都市はあくまで地方における「自治の一形態」にすぎなかったことがわかります。その違いは、政治的影響力、法的自立性、そして都市の自己認識にまで及ぶ、本質的なものだったのです。