
神聖ローマ帝国って、「なんかバラバラでまとまりのない帝国だったよね〜」ってイメージがあるかもしれませんが、その裏で実は何度もガチの内戦が起こってるんです。
しかもどれも原因が「宗教」「皇帝 vs 諸侯」「選挙争い」「外部勢力の介入」など、神聖ローマ帝国らしすぎるドタバタ。
この記事では、帝国内で起きた主な内戦・大規模対立を時代順にまとめてご紹介します!
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最初の“神聖ローマ風”内戦は、皇帝と教皇のバチバチから始まります。
いわゆる叙任権闘争です。司教の任命権(=叙任権)をめぐって皇帝と教皇が対立し、ハインリヒ4世が破門→諸侯の支持を失う→反皇帝擁立国内では「皇帝派」と「教皇派」に分かれてガチ内戦状態となり、帝国の統一は大きく揺らぎます。
よく知られるカノッサ事件(1077年)は、戦争というより政治的パフォーマンスの極地でもその背景には、ガチで命の取り合いをしていた深刻な内戦状態
ホーエンシュタウフェン朝断絶後、「皇帝がいない状態」が長く続き、その間、諸侯や王族たちが誰を皇帝にするかで揉めに揉めます。
1250年に皇帝フリードリヒ2世が死去。後継者争いが勃発し、リチャード(イングランド王弟) vs アルフォンソ10世(カスティーリャ王)など、外国勢まで巻き込んだ“皇帝擬制合戦”が始まります。
地方レベルでは「この領地、うちのもんじゃなかったっけ?」みたいな言い争いが火を噴き、ミニ戦争の連続という地獄の時代が続きます。これがいわゆる「大空位時代」(Interregnum)です。
神聖ローマ帝国史上最も悲惨で最大規模の内戦といえば、やはりこれ。
もはや“内戦”の域を超えて国際戦争になってしまった例です。
ボヘミアのプロテスタントが皇帝(カトリック)に反旗を翻し、そこにスウェーデン、フランス、スペインなど周辺国もガンガン参戦。
でも基本の構図は「神聖ローマ帝国の中の分裂」なんです。
三十年戦争を通して、領邦(諸侯)側の独立性が確定してしまいます。
神聖ローマ皇帝はますます名ばかりの存在に……
これは宗教改革の影響で、プロテスタント諸侯が団結してカトリック皇帝と戦った内戦です。
ルター派の諸侯たちが「もうカトリックには従えない」として同盟を組み、カール5世は「帝国の統一」を掲げてこれを鎮圧しようとします。
一時的に皇帝が勝利しますが、宗教対立は完全には解決せず、その後も火種として帝国内に残り続けます。
神聖ローマ帝国では、地方の諸侯や都市同士がしょっちゅう戦争していました。
たとえば:
スイス諸邦と神聖ローマ帝国の間で起きた戦争。
結果としてスイスは帝国から“事実上”独立する流れに。
帝国内の自由都市(フライシュタット)と周囲の諸侯が争う例も多く、「〇〇都市同盟 vs 地方領主」の小規模内戦が頻発していました。
神聖ローマ帝国は「帝国内の内戦が常にどこかで起きていた」ような国でした。
それもそのはず、皇帝の力が弱くて、諸侯や都市がほぼ“独立国”みたいな存在だったから。
ある意味では、内戦を繰り返していたからこそ、帝国が“ひとつになれなかった”とも言えるんです。