神聖ローマ帝国で起こった内戦まとめ

神聖ローマ帝国って、「なんかバラバラでまとまりのない帝国だったよね〜」ってイメージがあるかもしれませんが、その裏で実は何度もガチの内戦が起こってるんです。
しかもどれも原因が「宗教」「皇帝 vs 諸侯」「選挙争い」「外部勢力の介入」など、神聖ローマ帝国らしすぎるドタバタ
この記事では、帝国内で起きた主な内戦・大規模対立を時代順にまとめてご紹介します!

 

 

叙任権闘争とザリエル朝の混乱(11世紀)

最初の“神聖ローマ風”内戦は、皇帝と教皇のバチバチから始まります。

 

ハインリヒ4世 vs 教皇グレゴリウス7世(1075年〜)

いわゆる叙任権闘争です。司教の任命権(=叙任権)をめぐって皇帝と教皇が対立し、ハインリヒ4世が破門→諸侯の支持を失う→反皇帝擁立国内では「皇帝派」と「教皇派」に分かれてガチ内戦状態となり、帝国の統一は大きく揺らぎます。

 

カノッサの屈辱は「内戦の中のパフォーマンス」

よく知られるカノッサ事件(1077年)は、戦争というより政治的パフォーマンスの極地でもその背景には、ガチで命の取り合いをしていた深刻な内戦状態

 

大空位時代と皇帝位をめぐる内戦(13世紀)

ホーエンシュタウフェン朝断絶後、「皇帝がいない状態」が長く続き、その間、諸侯や王族たちが誰を皇帝にするかで揉めに揉めます。

 

フリードリヒ2世死後の“皇帝空白期”

1250年に皇帝フリードリヒ2世が死去。後継者争いが勃発し、リチャード(イングランド王弟) vs アルフォンソ10世(カスティーリャ王)など、外国勢まで巻き込んだ“皇帝擬制合戦”が始まります。

 

帝国内では諸侯同士の武力衝突も

地方レベルでは「この領地、うちのもんじゃなかったっけ?」みたいな言い争いが火を噴き、ミニ戦争の連続という地獄の時代が続きます。これがいわゆる「大空位時代」(Interregnum)です。

 

三十年戦争(1618–1648年)

神聖ローマ帝国史上最も悲惨で最大規模の内戦といえば、やはりこれ。
もはや“内戦”の域を超えて国際戦争になってしまった例です。

 

ボヘミア反乱から始まった“帝国内の宗教戦争”

ボヘミアのプロテスタントが皇帝(カトリック)に反旗を翻し、そこにスウェーデン、フランス、スペインなど周辺国もガンガン参戦
でも基本の構図は「神聖ローマ帝国の中の分裂」なんです。

 

「諸侯 vs 皇帝」の構図がさらに深刻に

三十年戦争を通して、領邦(諸侯)側の独立性が確定してしまいます。
神聖ローマ皇帝はますます名ばかりの存在に……

 

シュマルカルデン戦争(1546–1547年)

これは宗教改革の影響で、プロテスタント諸侯が団結してカトリック皇帝と戦った内戦です。

 

皇帝カール5世 vs シュマルカルデン同盟

ルター派の諸侯たちが「もうカトリックには従えない」として同盟を組み、カール5世は「帝国の統一」を掲げてこれを鎮圧しようとします。
一時的に皇帝が勝利しますが、宗教対立は完全には解決せず、その後も火種として帝国内に残り続けます。

 

その他、地方レベルの“内戦だらけ”

神聖ローマ帝国では、地方の諸侯や都市同士がしょっちゅう戦争していました。
たとえば:

 

シュヴァーベン戦争(1499年)

スイス諸邦と神聖ローマ帝国の間で起きた戦争。
結果としてスイスは帝国から“事実上”独立する流れに。

 

都市 vs 領主の対立

帝国内の自由都市(フライシュタット)と周囲の諸侯が争う例も多く、「〇〇都市同盟 vs 地方領主」の小規模内戦が頻発していました。

 

神聖ローマ帝国は「帝国内の内戦が常にどこかで起きていた」ような国でした。
それもそのはず、皇帝の力が弱くて、諸侯や都市がほぼ“独立国”みたいな存在だったから。
ある意味では、内戦を繰り返していたからこそ、帝国が“ひとつになれなかった”とも言えるんです。