神聖ローマ皇帝に女性っていたの?

神聖ローマ皇帝に女性がいたか?――これはすごく気になるポイントですよね。
女王や女帝って歴史上にはたくさんいるけど、神聖ローマ帝国の場合はちょっと特殊なんです。
実は正式な“皇帝”として即位した女性はいませんでした。
でも、じゃあ女性がまったく無関係だったのかというと、そんなことはありません!
この記事では、「神聖ローマ帝国における女性の立場」と「“女性皇帝っぽい人”っていたの?」という視点で解説していきます。

 

 

なぜ神聖ローマ皇帝に女性がいなかったの?

まずは素朴な疑問から。なんで女性の皇帝がいなかったのか?
その理由は、帝国の“ルール”と“儀式の性質”にありました。

 

皇帝は「選挙制」&「騎士的儀式」が前提

神聖ローマ皇帝は世襲じゃなくて選帝侯による選挙制で決まっていました。この時点で、候補になるのは基本的に有力な男子貴族のみ
しかも、即位には剣を帯びたり、馬に乗ったりする騎士的な儀式が必要だったので、 当時の価値観では「女性にはふさわしくない」とされていたんです。

 

金印勅書でも「男子に限る」方向が明示された

1356年に発布された金印勅書では、選帝侯の相続や地位継承に関しても男子優先が基本とされていました。
なので、女性が「選ばれる」可能性は、制度的にも限りなくゼロに近かったんですね。

 

それでも“皇帝級の女性”はいた!

でも、女性が完全に蚊帳の外だったわけじゃありません。
皇帝にはなれなくても、その地位に限りなく近づいた女性は何人もいたんです。

 

マリア・テレジア:ほぼ“皇帝”として振る舞った女大公

神聖ローマ帝国で最も有名な女性といえばマリア・テレジア(1717–1780)。
彼女は正式には皇帝ではありませんが、ハプスブルク家の当主としてオーストリアを支配し、 夫のフランツ1世を皇帝に就け、自分は事実上の共同統治者としてふるまっていました。

 

彼女の政治力・軍事指導・外交手腕は群を抜いていて、「女性が皇帝になれない」という制度の限界をねじ伏せたとも言われています。

 

皇后たちも帝国を陰で動かしていた

皇帝の妻である皇后(ケイザリン)も、決してお飾りではありませんでした。
外交の仲介役を務めたり、後継者争いに関与したり、時には摂政として政務を代行することも。
特にハプスブルク家では、女性の血統が皇位継承に大きく関わることもあって、 「見えない皇帝」としての影響力を持っていた女性も少なくなかったんです。

 

「女性皇帝」はいなかったけど、“存在感”はあった

まとめると、制度上は神聖ローマ帝国には女性皇帝は存在しなかった
でも、時代が進むにつれて女性の政治的存在感はどんどん大きくなっていったんです。

 

後世のモデルにも影響を与えた

マリア・テレジアのような女性統治者は、のちのドイツ帝国やオーストリア帝国の政治思想にも大きな影響を与えました。
そして、女性が“支配者たりうる”ことをヨーロッパ中に印象づけた存在でもあったんです。

 

神聖ローマ帝国に「女性の皇帝」はいませんでした。
でも、それは制度や価値観による“名目上の話”。
実際には、皇帝に匹敵する影響力を持つ女性たちが、帝国の歴史の中で確かに生きていたんです。
だからこそ、「いなかった」と片付けるより、「制度の外から支配していた」と見る方が面白いかもしれませんよ。