
神聖ローマ帝国って、皇帝の戴冠式や荘厳な紋章、壮麗な城など、見た目の“ゴージャスさ”ではかなり目立つ存在なんですが、「国花ってあったの?」って聞かれると……実は、現代のような明確な「国花」が制度として決められていたわけではありません。
でも、「帝国を象徴する植物」や「特定の家系が大事にした花」といった形で、それっぽい存在がちゃんとあるんです。
この記事では、神聖ローマ帝国における“国花的存在”について掘り下げてみましょう。
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現代の国家のように、「この花が正式な国花です!」と定められたものは神聖ローマ帝国にはありませんでした。
なにしろ帝国自体が連邦的でバラバラな構造をしていたので、ひとつの花で全体を象徴するという発想はあまり強くなかったんです。
でも、ある花が帝国のイメージと結びついて定着していたことは事実。その代表格が、あの有名な花です。
バラ、なかでも白いバラは、神聖ローマ帝国の中で特別な意味を持っていました。
中世ヨーロッパでは、白バラが純粋・神聖・無垢を象徴する花として広く使われていて、それがそのまま「神聖ローマ帝国の神聖性」と結びついていたんです。
特に皇帝の家系や聖職者の紋章にしばしば登場し、皇帝権威を強調するモチーフとしても愛されていました。
さらに、帝国の長年の支配者だったハプスブルク家では、赤いバラを家紋に使っていた時期がありました。
このバラは情熱・高貴・血統の象徴として、政治的な威厳や誇りを表していたんです。
つまり、白と赤、どちらのバラもそれぞれ違う意味合いで帝国の“花的存在”として扱われていたわけですね。
帝国全体で正式に「国花」と呼ばれたわけじゃないのに、どうしてバラがそれっぽい位置づけになったのか?そこには文化や宗教的な背景が深く関わってきます。
神聖ローマ帝国はカトリックの信仰が中心だったので、宗教的な象徴としての意味が非常に大きかったんです。
たとえば、白バラは聖母マリアの象徴とされ、「神の恩寵」「信仰の純粋さ」を表す存在でした。
そんな意味を持つ花が、帝国の理想や理念と重ねられていったのも自然な流れだったんですね。
宮廷文化や騎士道の世界でも、バラは高貴な花の代表格。
帝国の貴族や領邦君主たちも、自分の紋章や庭園、文学作品の中でバラをよく使っていました。
つまりバラは、宗教・政治・文化すべてにまたがる“帝国らしい花”として、多くの人の中に印象づけられていったんです。
神聖ローマ帝国には、今の国みたいな「これが国花です!」って制度はなかったけれど、白バラや赤バラといった特別な花が、皇帝の権威や宗教的な神聖さと深く結びついていました。
だからこそ、バラは事実上の“国花的存在”として、帝国のイメージを彩っていたんです。