
アルプスの山々に囲まれたスイス──今でこそ「永世中立国」として知られていますが、もともとは神聖ローマ帝国の一部だったってご存知でしたか?そんなスイスが帝国から離れ、「独立国」として扱われるようになったきっかけは、1648年のヴェストファリア条約。じゃあ、なぜ神聖ローマ帝国はスイスの独立を“わざわざ”認めたのか?その背景には、戦争、宗教、そして政治的な限界が絡んでいたんです。
スイスはこの大戦争にほとんど関わっていなかったんです。だからこそ、特別扱いされました。
実はスイスでも16世紀に宗教改革が起きていて、プロテスタントとカトリックの対立はかなり激しかったんです。とくにツヴィングリの影響でチューリヒなどは改革派に大きく傾きました。しかしカトリックとの対立が続いた結果、「これ以上は争わず、共存しよう」という意識がスイス内で強く根づくようになります。
スイスの各カントン(邦)は、それぞれの判断で中立を選びました。三十年戦争では一部のスイス人が傭兵として参加したものの、スイスという国家単位では明確な中立姿勢を取り続けたのです。
戦争で疲弊していた神聖ローマ帝国は、スイスに介入する余力をすでに失っていました。形式的には「属しているけど実際は手出しできない」──そんな宙ぶらりんな状態が続いていたのです。
形式上は神聖ローマ帝国の一部であっても、スイスはすでに「別の国」になっていたといっていい状況でした。
スイスの独立の原点とされるのがウーリ・シュヴィーツ・ウンターヴァルデン3邦による「永久盟約(1291年)」です。これを機に、アルプス山間の諸邦が互いに助け合い、独自の政治体制を築くようになります。
16世紀にはすでにスイス盟約者団という形で事実上の国家を形成。帝国の命令には従わず、外交や軍事も独自に行っていました。
スイスの多くは農民や町人たちが自衛的に運営していた地域。騎士や貴族の権威があまり及ばなかったため、支配されることに強い抵抗感があったんですね。
1648年に結ばれたこの条約は、宗教だけじゃなく、帝国の構造そのものも大きく変えた条約でした。
この条約でオランダ(ネーデルラント連邦共和国)の独立も帝国に承認されました。つまり「スイスだけが特別」というわけじゃなく、事実上独立していた国々を整理して承認した形なんです。
フランスやスウェーデンなど、条約交渉に参加した大国は、スイスをすでに独立国として扱っていました。その流れに逆らうことは、帝国にとって不利だったわけです。
もう言うことを聞かない地域をムリに繋ぎ止めるより、「中立国」として独立させたほうが後腐れがない。そう判断された結果が、正式な独立承認だったんです。