
神聖ローマ帝国という名前、いかにも崇高で正統な感じがしますが、歴史をかじった人からはよく「全然“神聖”じゃないよね?」なんて言われたりします。なかでも有名なのがヴォルテールの言葉──「神聖でもなく、ローマでもなく、帝国でもない」。
そんな皮肉がなぜ生まれたのか? この記事では、神聖ローマ帝国がなぜ「神聖じゃない」と評されるようになったのか、その実態と背景を3つの視点からわかりやすく解説していきます。
まずは名前に込められた本来の意味を確認してみましょう。
「神聖ローマ帝国」という名が生まれたのは、800年にカール大帝がローマ教皇から皇帝として戴冠されたことに由来します。このとき、皇帝の権力は神の代理人としてキリスト教世界を導く存在とされ、その“神聖さ”が保証されたわけです。
皇帝には教会の保護者という役割もあり、宗教と政治が一体となった秩序の象徴でした。つまり「神聖」とは、宗教的権威に裏打ちされた統治の正当性を表す言葉だったんですね。
理想は立派でしたが、実際の神聖ローマ帝国は“神聖”とはかけ離れた存在でもありました。
代表的なのが叙任権闘争です。皇帝ハインリヒ4世と教皇グレゴリウス7世の争いは、皇帝がカノッサで雪の中に立たされるほどの屈辱劇にまで発展しました。こんな関係で「神聖な協力」なんて言えたもんじゃないですよね。
神聖ローマ帝国は数百の領邦国家から成る分権体制。皇帝が「命令したくてもできない」状況が日常茶飯事でした。つまり宗教的権威はあっても、政治的な実権は弱かったのです。
最終的には、神聖という看板もほとんど形だけのものとなっていきます。
ルターによる宗教改革で帝国内はカトリックとプロテスタントに真っ二つ。信仰の統一も保てず、神の代理人としての皇帝の立場はますます揺らぎます。
18世紀になると、理性と自由を重んじる啓蒙思想が広がり、ついにはフランス革命で王権そのものが否定される時代に。こうした流れの中で、神の名のもとに成り立つ帝国は、時代遅れの象徴と化していったのです。