
神聖ローマ帝国って、その名前からして「神のご加護に満ちた荘厳な帝国」って感じ、しませんか?
でもいざ中身を見てみると……神聖って何だったっけ?と首をかしげたくなるような出来事が山盛りなんです。
戦争はするし、皇帝と教皇は喧嘩ばかりだし、異端審問もあれば略奪もあるし……。
この記事では、そんな“神聖詐欺”とすら言われてしまう帝国のギャップを見ていきながら、 「じゃあそれでもなんで“神聖”って名乗ったの?」という問いにもちゃんと向き合ってみましょう。
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名前が「神聖」なわりに、実際の歴史を見ると、どう見てもそうじゃない出来事が次から次へと出てくるのが神聖ローマ帝国の不思議なところなんです。
本来、「神聖」って言うなら、教会と皇帝が協力してキリスト教世界を導くはずですよね?
でも現実は真逆。とくに11世紀の叙任権闘争では、皇帝とローマ教皇が「誰が聖職者を任命するか」で大げんか。
お互いに破門したりされたり、皇帝が雪の中で謝りに行ったり(カノッサの屈辱)、もう神聖どころかバチバチの仁義なき戦い状態でした。
帝国内ではカトリックとプロテスタントがガチで衝突していました。
16〜17世紀の三十年戦争なんて、もう「同じ神を信じる人同士がここまで殺し合う!?」ってレベル。
都市は焼かれ、民は苦しみ、帝国の人口もがっつり減少。
「神の加護」より「神の沈黙」が感じられるような惨状だったんです。
「神聖」な帝国だから、信仰の自由も保障されていたのかと思いきや、全然そんなことはありません。
むしろ、時には異端やユダヤ人への迫害が国家ぐるみで行われることもありました。
教会の権威を守るためとはいえ、それが「神聖」の名にふさわしい行動だったのかは、かなり疑問が残ります。
じゃあなんでこんな現実があるのに、「神聖」なんて名乗ったの?って思いますよね。
そこには、中世ならではの“理想が現実を覆い隠す”感覚があったんです。
神聖ローマ帝国の「神聖」は、実態の正しさを示すものじゃなくて、「正しさを目指す姿勢」を示すものだったんです。
どんなにバラバラでも、「神に選ばれた皇帝」「神の秩序を守る帝国」っていう枠組みを掲げることで、 みんなの信頼とまとまりを何とか維持していたわけですね。
中世ヨーロッパでは、政治的権力も宗教的権威も、バラバラには考えられませんでした。
だからこそ、帝国が皇帝の支配だけでなく、キリスト教的秩序そのものを守る存在であることを強調するために、「神聖」という言葉がどうしても必要だったんです。
神聖ローマ帝国の「神聖」は、たしかに現実とはかけ離れていたかもしれません。
でもその名前には、「そうありたい」という願いと、「みんなで信じたい秩序」が込められていたんです。
理想に向かってあがき続けた千年の歴史、それは“神聖さ”の不在ではなく、“神聖さ”を求め続けた物語だったとも言えるんですよ。