
黄金地に黒い双頭の鷲
神聖ローマ帝国の皇帝権と帝国の威厳を象徴する紋章として広く用いられた
出典:Wikimedia Commons CC BY-SA 3.0/ オリジナル: N3MO 修正: Paul2
中世ヨーロッパの紋章って、どれもいろんな意味が込められていて面白いんですが、なかでもひときわインパクトがあるのが「双頭の鷲」なんです。そう、頭がふたつある鳥。これってちょっと不思議な見た目ですよね?でも実は、神聖ローマ帝国にとってはただの飾りじゃなくて、ちゃんとした“理由”があったんです。
そもそもなんで鷲なの? しかも、なんで頭がふたつも? そこには「帝国ってこんな国なんだぞ」っていうアピールがぎっしり詰まっているんですよ。そしてこの鷲、時代が進むとハプスブルク家の象徴としても使われるようになって、ますます意味が深くなっていきます。
今回はそんな「双頭の鷲」のひみつについて、わかりやすくかみ砕いて解説していきます。
神聖ローマ帝国皇帝の紋章(1605)
ルドルフ2世らハプスブルク家皇帝の領邦を象徴する紋章と二頭鷲の意匠
出典:Johann Siebmacher『Wappenbuch』(1605) /Originally uploaded by de:Benutzer:Hansele /Wikimedia Commons Public Domainより
まずは、この見た目にインパクトのある双頭の鷲が、どんな“意味”を持っていたのか見ていきましょう。
双頭の鷲のいちばん目立つ特徴は、もちろん頭がふたつあるところ。なんでこんな形になったのかというと、よく言われるのが「東の世界と西の世界、両方を支配している」ってことを表してるからなんです。
神聖ローマ帝国は、「自分たちはローマ帝国の正統な後継者なんだ」っていう意識がすごく強かった国で、だからこそ、昔のローマ帝国みたいに広い領土を持ってるぞ!ってアピールしたかったんですね。そんなときに、東西の両方をにらみきかせてるこの鷲のデザインが、ピッタリだったわけです。
もうひとつの説は、「宗教と政治の二つの力」を同時に持ってるってことを示してるっていうものです。神聖ローマ帝国って、皇帝とローマ教皇がいつもバチバチしてたことで有名なんですが、それでも一応は「教会と皇帝が手を取り合って支配してる」っていう形にはなってたんですよ。
だから、このふたつの頭は「教会」と「皇帝」を表してて、「どっちも大事にしてますよ」っていうバランス感覚を見せるためのマークだったとも言われてるんですね。
4ドゥカート金貨(1915年)
ハプスブルク家の威信を示す記念金貨で、皇帝の肖像と双頭の鷲が刻まれ帝国の権威を象徴していた
表:フランツ・ヨーゼフ1世
裏:双頭の鷲
出典:Karl Gruber/Wikimedia Commons CC BY-SA 3.0より
さて、このシンボルがもっと強力なものになっていくのは、やっぱりハプスブルク家の時代になってからなんです。
神聖ローマ帝国では、時代が下るにつれて「皇帝=ハプスブルク家」っていう構図が当たり前になっていきました。するとどうなるかというと、もともとは帝国全体の象徴だった双頭の鷲が、だんだんハプスブルク家の家紋っぽくなっていくんですね。
やがてこの鷲は、帝国のマークであると同時に、「ハプスブルク家ってすごいぞ」っていうブランドマークにもなっていきました。いわば、国家と家名の“合体ロゴ”みたいな存在になったわけです。
ハプスブルク家にとって、双頭の鷲はただの飾りじゃありませんでした。なにせこの家系、皇帝の座をほぼ独占してましたから、自分たちが持つ正統性や威厳を世の中に見せつけるには、うってつけのシンボルだったんです。
たとえば、宮殿の装飾とか、公式文書の印章とか、軍の旗とか、いろんな場面でこの鷲が登場します。まさに「この国はハプスブルクが仕切ってます」っていうサインだったわけですね。
最後に、そもそもこの「双頭の鷲」ってどこから来たの?という歴史を見てみましょう。
じつはこのデザイン、ヨーロッパ発祥じゃないんです。いちばん古い例は、なんと古代メソポタミアまでさかのぼります。シュメールやヒッタイトといった古代文明の遺跡には、すでに「頭がふたつある鳥」のモチーフが登場してるんですね。
当時から、「ふたつの視点を持つ=超越的な力」っていう考え方があったみたいで、それが後のヨーロッパにも影響を与えたんだと言われています。
ヨハネス6世カンタクゼノス
教会会議を主宰するビザンツ皇帝カンタクゼノスが描かれ、金の双頭の鷲が足元に描かれている。
出典: Uploaded by Cplakidas /Wikimedia Commons Public Domainより
このモチーフが“本格的に採用された”のは、ビザンツ帝国です。東ローマ帝国とも呼ばれますが、この国が双頭の鷲を皇帝の紋章として公式に使い始めたのが、今の形のルーツと言えるでしょう。
ビザンツ帝国でも、「東方と西方を支配する皇帝」っていう考え方が大事だったので、この鷲はまさにぴったりだったわけです。
ヴォルムス帝国議会で弁明するルター(1556年制作)
神聖ローマ皇帝カール5世の座面に双頭の鷲が描かれている
出典:ルートヴィヒ・ラバス著『歴史』より/Wikimedia Commons Public Domainより
神聖ローマ帝国がこのシンボルを引き継いだのは、「ローマ帝国の後継者」を名乗るためには、それにふさわしいビジュアルが必要だったからです。
ビザンツ帝国が衰退しはじめた13世紀頃、神聖ローマ帝国は「自分たちこそが本物のローマだ!」っていうイメージ戦略を強めていきました。その中で、双頭の鷲を正式に採用したのが神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世(在位:1314~1347年)だとされています。
こうして双頭の鷲は、古代から中世、そして近世へと受け継がれ、帝国の象徴として定着していったのです。