神聖ローマ帝国の正式名称は時代により異なるが、最も定着した形は「Sacrum Romanum Imperium Nationis Germanicae(ドイツ民族の神聖ローマ帝国)」である。これは16世紀ごろから使われ始め、ドイツ語では「Heiliges Römisches Reich Deutscher Nation」と表記された。もともとは単に「ローマ帝国」や「神聖ローマ帝国」と呼ばれていたが、民族意識の高まりとともに「ドイツ民族」の語が付け加えられた。

神聖ローマ帝国の嘘と矛盾
神聖ローマ帝国は「ローマ帝国の継承者」と名乗りながら、実際にはローマとほとんど無関係なドイツ中心の国家だった。また「神聖」とされつつも、教皇と皇帝はしばしば対立し、教会の統一を守るどころか戦乱の火種ともなった。帝国と名乗りながら分権的で統一性に欠けており、理念と実態のあいだに大きな矛盾を抱えていた。