
神聖ローマ帝国──この響き、なんとも立派で強そうな印象を受けますよね。けれど歴史の教科書や評論では、しばしばこんな言い回しが登場します。
「帝国なんて名前負け。全然“帝国”じゃないじゃん」
そう、実はこの国家、見かけ倒しの“ゆるふわ連合体”だったんです。では、なぜ神聖ローマ帝国が「帝国じゃない」と言われるのか? 本記事では、その理由を3つの切り口でひも解いていきます。
まずは、「帝国」という言葉の意味から整理してみましょう。
一般的に帝国とは、皇帝が絶対的な権力を持ち、広大な領土と多様な民族を一手に支配する中央集権体制のことを指します。たとえばローマ帝国やオスマン帝国のように、トップがバシッと全体をコントロールしているイメージですね。
また、帝国には官僚制度や軍隊の統一指揮といった要素も不可欠。異なる地域を一つの「国家」として束ねるための機構が整っている必要があります。
この定義に照らし合わせてみると、神聖ローマ帝国はかなり“帝国っぽくない”んです。
神聖ローマ皇帝といえども、実際に命令できる範囲はごく限られていました。各地の領邦国家──たとえばブランデンブルクやバイエルン、オーストリアなどはそれぞれに法律・軍隊・税制を持ち、ほぼ独立国のようにふるまっていたのです。
帝国内の多数派は、皇帝の命令を「聞くか聞かないかはこっち次第」とばかりにスルーすることも。とくに15世紀以降は帝国議会で合議しなければ何も決まらないという状態に。まさに“帝国”という名の“連邦制”だったわけです。
じゃあなんでそんな国家が「帝国」を名乗れたのか? それは“理想”としてのイメージ戦略だったとも言えます。
神聖ローマ帝国の「帝国」は、あくまで古代ローマの正統を継ぐという“看板”。実態がどうであれ、「皇帝がいて、ローマの名前が入っていれば帝国」という、象徴的意味合いが強かったのです。
近世以降になると、イギリスやフランスのように本格的な中央集権国家が台頭。そんな中、神聖ローマ帝国は相変わらずバラバラな寄せ集めで、“帝国”というより“連邦会議”みたいな状態に。ついには1806年、ナポレオンに圧される形であっけなく消滅してしまいます。