
「初代皇帝」って聞くと、普通はひとりに絞れそうなものですよね?でも神聖ローマ帝国の場合、そう簡単にはいかないんです。なぜなら、カール大帝とオットー1世という2人の皇帝に“初代説”があるから。
どちらも“神聖ローマ帝国の祖”として語られることが多く、それぞれに正当な理由があるんです。この記事では、このややこしい問題をわかりやすく整理して、「精神的な初代」と「制度的な初代」という視点から紐解いていきます!
まずはカール大帝から。彼を初代と見なす考え方には、歴史的な背景が大きく関わっています。
800年、ローマ教皇レオ3世は、フランク王カール大帝(742 - 814)に「ローマ皇帝」の冠を授けました。 このとき生まれたのが「ローマ帝国の復活」だとされていて、のちの神聖ローマ帝国に強い影響を与えたんです。
カール大帝の帝国──つまりカロリング帝国──は、実際には分裂してしまいますが、神聖ローマ帝国の皇帝たちは「自分たちはカール大帝の後継者だ」と繰り返し強調しました。 なので、「精神的に始まりはここから」と考える人たちは、彼を初代にカウントするわけです。
カール大帝(シャルルマーニュ)
出典:Albrecht Dürer / Public Domainより
じゃあなんでオットー1世も「初代」と呼ばれるのか?──それは、制度上の始まりが関係しています。
オットー1世(912 - 973)はザクセン朝の王として帝国を再編し、962年、ローマ教皇ヨハネス12世から戴冠を受けました。 ここで成立したのが、いわゆる「神聖ローマ帝国」とみなされているんです。
カール大帝の帝国は断絶しましたが、オットー1世の戴冠以降、皇帝位が継続的に受け継がれることになりました。 そのため、制度としての「皇帝位の始まり」はここだ!という観点からは、彼が初代となるわけですね。
オットー1世(オットー大帝)
出典:Axel Mauruszat(権利者)/Wikimedia Commons / Public Domainより
じゃあ結局、どっちを「初代」とするのが正しいのか?──それは文脈次第なんです。
カール大帝はローマ帝国の復活という理念・象徴における初代、オットー1世は組織的・制度的に皇帝位を再建した初代。こんなふうに、両者ともに「初代」とされるだけの理由があるんですね。
しかし実際のところ、歴史書や教科書では、オットー1世を「初代神聖ローマ皇帝」として扱うのが一般的です。 カール大帝は「前史」として特別扱いされることが多いですね。