
初代神聖ローマ皇帝については、歴史ファンの間でもよく出る“プチ論争”なんですよね。
「神聖ローマ帝国の初代皇帝って誰なの?」と聞かれたら、カール大帝(シャルルマーニュ)って答える人もいれば、オットー1世の方が正しいって言う人もいます。
どっちも間違いじゃないけど、「どういう定義で“神聖ローマ帝国”を考えるか」によって答えが変わってくるんです。
この記事では、その違いをわかりやすく整理していきます!
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まず前提として、「神聖ローマ帝国」っていう名前、実は最初から使われていたわけじゃないんです。
当時の人たちは最初から「我々は神聖ローマ帝国だ!」って名乗ってたわけじゃなくて、後世になってからこの呼び名が定着した“あとづけの概念”なんです。
この帝国が「ローマ帝国の後継者ですよ〜」って名乗ったこと、 そしてそれを教皇が認めて「皇帝の冠」を与えたことが、神聖ローマ帝国の起点になるというのが大前提なんですね。
上記の前提を踏まえた上で、カール大帝、オットー1世は両者ともに「初代皇帝」と位置付けるに十分な根拠を持っています。
カール大帝(シャルルマーニュ)は、800年にローマ教皇レオ3世から皇帝として戴冠されました。
この時点で「ローマ皇帝の称号が西ヨーロッパに復活した!」と大騒ぎされるくらいの歴史的大事件だったんです。
このため、「皇帝の伝統がここから始まった」という意味での“初代”という位置づけなんですね。 ただし、カール大帝の帝国(カロリング帝国)は、その後分裂して消えていきます。
それからおよそ150年後の962年、ドイツ王だったオットー1世がローマ教皇から再び皇帝の冠を受け取ります。
ここで成立したのが「東フランク王国(ドイツ)」を基盤とした皇帝制度で、これが後の「神聖ローマ帝国」へとつながっていくんです。つまり、制度としての“持続性ある帝国”の初代皇帝というわけです。
この質問、実は「どっちかが正しくて、どっちかが間違い」というより、どういう観点から“神聖ローマ帝国”を定義するかによって答えが変わるんです。
人物 | 初代扱いされる理由 |
---|---|
カール大帝 | 皇帝という称号の復活。ローマとのつながりを復興した人物。 |
オットー1世 | 制度としての神聖ローマ帝国を確立し、以後の基盤を作った人物。 |
そうはいっても、現代の歴史学では、神聖ローマ帝国の成立年を962年(オットー1世の戴冠)とするのが主流です。
なので、教科書や資料集ではだいたいオットー1世が「初代皇帝」として出てくることが多いんですよ。
カール大帝とオットー1世、どちらも「神聖ローマ皇帝のはじまり」に深く関わっていたのは間違いありません。
カール大帝は“ローマ皇帝の精神的復活”、オットー1世は“制度としての持続的な帝国”――
だから、どちらを“初代”と見るかは、その人の視点や定義の違い次第なんですね!