
「工業」と聞くと、つい産業革命や近代のイギリスを思い浮かべがちですが、実はそのずっと前から、神聖ローマ帝国でも立派な“ものづくり”が発展していたんです。もちろん今のような大規模工場ではありませんが、手工業のレベルで見ると、ヨーロッパでも屈指の技術力を誇っていました。今回は、そんな神聖ローマ帝国における工業の歴史を、時代ごとにわかりやすく見ていきましょう!
神聖ローマ帝国の工業は、都市を拠点としたギルド制手工業からスタートします。
中世の都市では、職人たちはギルド(同職組合)を形成し、製造・販売・教育までを独自に管理。これが産業の安定と技術の継承に大きく貢献しました。
神聖ローマ帝国の織物業は、特に南ドイツとライン川流域で発展。リューベックやニュルンベルクでは、高品質の毛織物が生産され、輸出産業としても成長しました。
中部ドイツの都市アウクスブルク、パッサウ、ゾーリンゲンなどは、刀剣・甲冑・道具などの金属加工技術で有名。ゾーリンゲンの刃物は、今でも“ドイツ品質”の象徴として世界に知られています。
15世紀以降、工業技術は「職人芸」から技術革新へとステップアップしていきます。
神聖ローマ帝国出身のヨハネス・グーテンベルク(1400頃 - 1468)が、1450年頃に活版印刷技術を開発。これは工業史における大革命であり、印刷業が一大産業へと発展するきっかけとなりました。
中部ドイツやボヘミアでは銀・銅・鉛などの鉱山開発が進み、そこから派生して精錬・冶金技術が飛躍的に向上。こうした鉱工業の成長を支えたのが、技術者(ベルクマイスター)や鉱山技術書の存在でした。
シュヴァーベン地方などでは精密機器の生産が進み、特に時計製造や天文観測機器が、学問や宗教改革と密接に関わりながら発展していきました。
17~18世紀に入ると、神聖ローマ帝国の工業は「産業革命以前の工業化」=プロト工業化の段階へと移っていきます。
都市のギルドに属さない農村部でも、農民による手工業(家内工業)が活発に行われるようになります。とくに織物や木工製品など、需要の大きな品目は都市との結びつきの中で流通していました。
一方で都市のギルドは次第に保守化・閉鎖化し、新しい技術や若手職人の流入を妨げるようになっていきます。これが近代産業化の“足かせ”になった側面もありました。
18世紀後半、ハプスブルク家は国家主導の産業振興を進め、工場制度や技術学校を設立。これにより、帝国内でも徐々に近代工業への意識が芽生え始めます。