「皇帝軍」の制度や歴史を解説─神聖ローマ軍事史

神聖ローマ皇帝軍とは

皇帝軍(Kaiserliche Armee)は皇帝が神聖ローマ帝国内で編成した軍隊で、自由都市で兵を徴募する特別な権利を持っていた。ただし選帝侯領は徴募の対象外で、それ以外の領土は皇帝の徴募を拒めなかった。これとは別に、帝国議会が設立した「帝国軍」(Reichsarmee)も存在し、各帝国円が兵力を提供していた。

神聖ローマ「皇帝軍」の制度や歴史を解説

ヨーロッパの長い歴史の中でも、ひときわややこしいのが神聖ローマ帝国の軍事情。なかでも「皇帝軍」と「帝国軍」──名前は似ているのに、実態はまるで別物なんです。どちらも戦争では戦ったけど、誰が作った?誰の命令で動いた?何のために戦った?と掘り下げていくと、その違いはとても根本的。


この記事では、「神聖ローマ皇帝軍」とは何だったのか、そして「帝国軍」とどう違ったのか、さらに帝国滅亡後にその軍事機構がどうなったのかを、わかりやすく整理していきます。



皇帝軍とは何か

まずは「皇帝軍」ってそもそもどんな軍隊だったの?というところから見ていきましょう。


皇帝の“私兵”に近い軍

皇帝軍(Kaiserliche Armee)は、神聖ローマ皇帝が自分の資金や領土を使って編成した軍隊。特にハプスブルク家出身の皇帝たちは、オーストリアなどの直轄領から兵を動員して、皇帝軍を形成していました。


つまりこの軍は、あくまで皇帝個人の軍事力。神聖ローマ帝国という「全体」を代表しているわけではなかったんです。


常備軍として整備された

帝国軍と違って、皇帝軍は常設の軍隊として整備されていた点も特徴です。訓練された兵士、熟練の将官、整った指揮系統を持っており、急な戦争にもすぐ対応できる機動性の高さがありました。だからこそ、三十年戦争などでは実質的な主力として活躍することが多かったのです。


皇帝軍と帝国軍の違い

ここでは、両者の違いを明確に整理してみましょう。


組織の出自が違う

帝国軍(Reichsarmee)は、神聖ローマ帝国の帝国議会の決議によって動員される、連邦軍的な存在。帝国構成国の領邦・都市が兵力を提供し、指揮官も皇帝と議会の協議で決定されます。


それに対し、皇帝軍は皇帝が自由に編成し、命令を下せる直属の軍隊。政治的にも財政的にも、より“私的”な性格を持っていたんですね。


運用目的が違う

帝国軍は、基本的には帝国全体の防衛や外敵への対抗を目的とした軍。つまり、あくまで「帝国のために戦う」軍なんです。


一方で皇帝軍は、皇帝個人の利害や王朝の都合に基づいて動くことも多く、場合によっては帝国諸侯と戦うことさえありました(たとえば三十年戦争のとき、プロテスタント諸侯との戦いなど)。


帝国滅亡後の変遷

1806年に神聖ローマ帝国が解体された後、この皇帝軍はどうなったのか?それもまた興味深いポイントです。


オーストリア帝国軍に引き継がれる

神聖ローマ帝国最後の皇帝フランツ2世は、帝国解体と同時にオーストリア皇帝フランツ1世として再出発します。これにともない、皇帝軍の主力はオーストリア帝国軍(Kaiserlich-Königliche Armee)として再編され、ハプスブルク家の国家の軍隊として継続されました。


帝国軍は自然消滅

一方で帝国議会の決議で動いていた帝国軍は、帝国の消滅とともにその存在意義を失い、制度ごと消滅しました。以降のドイツ地域では、プロイセンなどの大国が各自の軍事力を基盤に台頭していくことになります。


「神聖ローマ皇帝軍の特徴とその後」まとめ
  • 皇帝軍は皇帝個人が編成する常備軍であり、帝国全体を代表していなかった。
  • 帝国軍は議会決議による臨時軍で、動員には諸侯の同意が必要だった。
  • 帝国滅亡後、皇帝軍はオーストリア帝国軍に移行し、軍事的伝統を継承した。