
国歌って、今ではどの国にもあるのが当たり前になってますけど、じゃあ神聖ローマ帝国みたいな昔の“ゆるっと連合国家”にもあったの?って聞かれると、ちょっと答えに困っちゃうかもしれません。でもご安心を。ちゃんと“それっぽい存在”はあったんです。ただし、今の国歌とはちょっと性格が違うんですよね。
この記事では、神聖ローマ帝国における「国歌的なもの」がどんな役割を持っていたのか、そしてそれがどんな曲だったのかを見ていきます。
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そもそも「国歌」という概念自体が近代になってからできたものです。
だから中世〜近世の神聖ローマ帝国に、今みたいな「公式に定められた国歌」があったかというと、答えはNOなんです。
でも、それでも「国を象徴するような音楽」は存在していて、人々の中で“帝国の歌”として定着していったものがあるんです。
神聖ローマ帝国でもっとも有名な“準・国歌”として知られているのが、18世紀に登場した「皇帝賛歌(Kaiserlied)」です。
これは1797年、ハイドンという作曲家が書いたもので、「皇帝フランツ2世を讃える歌」として広まりました。
メロディはものすごく荘厳で、のちにドイツ帝国やオーストリアの国歌にも使われることになるんです。
ここで注目したいのは、歌の対象が“国”じゃなくて“皇帝個人”だったという点です。
神聖ローマ帝国って、ひとつのまとまった国家ではなかったので、「我らが祖国!」みたいな発想はあまり強くありませんでした。
その代わり、「我らが皇帝陛下、万歳!」って感じで、皇帝を通して帝国の統一感を演出していたわけです。
この「皇帝賛歌」は、その後もいろんな時代で使われ続けた、とっても“生き延びた歌”なんです。その理由も含めて、ちょっと掘り下げてみましょう。
なんとこの「皇帝賛歌」のメロディ、今のドイツ連邦共和国の国歌(ドイツの歌)でも使われているんです。
つまり、現代でも生き残っているほど人気と威厳のあったメロディってことですね。
ただ、歌詞は時代ごとに全然ちがっていて、神聖ローマ帝国時代は「皇帝への忠誠」、のちのドイツ帝国では「祖国の統一」、ナチス時代にはさらに別の意味が加わるなど、その時代ごとの“政治の顔”が反映されるようになっていきました。
バラバラの領邦が集まっていた神聖ローマ帝国では、共通の文化やシンボルがとても重要でした。
だからこそ、言葉じゃなく音楽で皇帝への忠誠や帝国の一体感を表現するっていうのは、とても効果的だったんです。
言い換えれば、この皇帝賛歌は、「国歌」って言葉が生まれる前からの、音楽による“帝国ブランディング”だったとも言えます。
神聖ローマ帝国には、今で言う「国歌」はなかったけれど、「皇帝を讃える歌」がその役割を果たしていました。
バラバラな国々が集まった帝国にとって、音楽は共通の感情や忠誠心を育てる大切な道具だったんですね。
そしてそのメロディが、今もドイツの国歌として受け継がれている――歴史って、音でもつながっているんです。