
「神聖でもなければ、ローマ的でもなく、帝国ですらない」——この一言にピンと来た人、歴史好きですね。18世紀のフランスの哲学者ヴォルテール(1694 - 1778)が放ったこの皮肉たっぷりの言葉は、いまだに神聖ローマ帝国を語る際に欠かせないフレーズとなっています。
本記事では、ヴォルテールがなぜこのように評価したのか、その背景や彼の意図、そして神聖ローマ帝国の実態について掘り下げていきます。「名前と実態のギャップ」に着目しながら、当時の政治構造や宗教事情にも触れていきますよ。
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リード文にもあった通り、彼の発言は強烈ですよね。じゃあ実際、どんな事情がその言葉を生んだのか?まずは背景を見ていきましょう。
一見すると「神の加護を受けた神聖な帝国」っぽい響きですが、実際は宗教戦争の連続。とりわけ16世紀〜17世紀にかけて起きた三十年戦争(1618〜1648年)では、カトリックとプロテスタントの間で熾烈な争いが繰り広げられました。
結果的に、「神のもとでの統一」どころか、逆に分裂と混乱を助長することに。ヴォルテールの目には、そんな状態が「神聖」とは到底映らなかったわけです。
ローマといえば、かつての古代ローマ帝国。中央集権的で、軍事力と法によって広大な領土を治めていましたよね?
でも、神聖ローマ帝国は違いました。数百の領邦国家がバラバラに存在し、皇帝は「名ばかりの統治者」。ドイツ地方を中心に広がるこの帝国は、かつてのローマのような統一された力を持っていたわけではないのです。
帝国って、強力な一人の支配者がいて、しっかりとした中央集権があるイメージ、ありませんか?ところが神聖ローマ帝国では、皇帝といっても選挙で選ばれる存在で、しかもその権限は非常に限定的。
また、諸侯たちはそれぞれ独自の軍や通貨、法律まで持っていました。完全な分権国家なんですね。これじゃ「帝国」とは言い難い——ヴォルテールがそう感じたのも無理はありません。
ヴォルテールは単に皮肉を言いたかっただけ?それとも、もっと深い意味が?
ヴォルテールは啓蒙思想の旗手。つまり「理性」や「合理性」に価値を置く思想の持ち主でした。そんな彼から見れば、神聖ローマ帝国の不合理さ——分裂状態や宗教的対立、形式だけの政治構造——は耐えがたいものだったんです。
理想の国家とは真逆の存在。それゆえに、あの名言は生まれたわけです。
ヴォルテールはフランス人です。そしてフランスは、中央集権的な絶対王政を経験していた国。自国と比べたときに、神聖ローマ帝国は「まとまりのない寄せ集め」にしか見えなかったのかもしれません。
文化的・政治的な視点の違いも、彼の評価を辛辣なものにした大きなポイントです。
ここまで来たら、やっぱり根本の話にも触れておきたいですよね。
この帝国のはじまりはカール大帝(742 - 814)の戴冠(800年)。ローマ教皇から皇帝の冠を授かり、「西ローマ帝国の復活」として誕生したんです。でも、これが後々まで影響を及ぼすんですよね。
最初は一族による世襲的な継承が主流でしたが、次第に七選帝侯による皇帝選出制度が確立します。この仕組みが、皇帝の権限をさらに制限することになります。つまり、諸侯の力がどんどん強くなっていくわけですね。
最終的には1806年、ナポレオン戦争のさなかにフランツ2世が帝冠を返上し、帝国は消滅。実に1000年以上続いた長寿政体でしたが、最後まで一枚岩にはなれませんでした。
このように、ヴォルテールの名言はただの悪口ではなく、神聖ローマ帝国の歴史的な実態と矛盾を突いた、深い洞察だったんですね。名前だけ見ると立派そうですが、中身はかなり複雑で混乱していた――そんな帝国だったからこそ、ヴォルテールは鋭く切り込んだわけです。歴史の皮肉って、なかなか奥が深いものなのです。