
神聖ローマ帝国って、なんと約1000年も続いたんですよ。でもその分、歴史が長すぎて「どこからどこまでが重要?」って分かりにくいですよね。
というわけで今回は、神聖ローマ帝国の歴史を一気に年表でざっくり整理してみましょう。
建国から滅亡までの主要な出来事を、時代ごとの流れでつかめるようにまとめていきます!歴史の全体像をパッと把握したいときにぴったりです。
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神聖ローマ帝国の始まりは、ヨーロッパの歴史でもとっても大切な人物、カール大帝からスタートします。彼が「皇帝の冠」を受けたことが、この大きな帝国の象徴的なはじまりなんですよ。
フランク王だったカール大帝が、ローマ教皇レオ3世から「ローマ皇帝」の冠を受け取ったのがこの年です。これが「西ローマ帝国が復活した」と受け取られて、ヨーロッパの新しい秩序の幕開けとなりました。教皇がカールに冠をかぶせたことで、「皇帝って誰が決めるの?」という問題が今後の火種になっていきます。
その後、カール大帝の孫たちの時代になると、王国は西・中・東の3つに分かれてしまいます。このうち東フランク王国が、のちの神聖ローマ帝国のもとになっていきます。分かれてしまったことで、それぞれが別の道を歩み始めることになったんですね。
東フランク王だったオットー1世が、ローマ教皇に認められて正式に「皇帝」になったのがこの年です。これが神聖ローマ帝国の「本当のスタート」とも言われています。オットーさんは戦いもうまく、マジャール人をやっつけたり、イタリアにも進出したりして、ヨーロッパの中心に立つ存在になりました。
中世になると、「皇帝」と「教皇」がどっちがエライのかをめぐって、けっこう激しく争うようになります。政治と宗教が入り混じって、なかなか複雑になっていくんです。
皇帝のハインリヒ4世さんが教皇に怒られて破門されてしまい、謝るために雪の中で3日間立ちっぱなしという場面がありました。これを「カノッサの屈辱」といいます。皇帝が教皇に頭を下げるなんて、当時としてはすごく象徴的な出来事だったんですよ。
このバルバロッサさんは「赤ひげ王」と呼ばれたすごい人で、帝国の力を立て直そうとがんばった方です。イタリア遠征にも出かけて、都市国家たちとガチで戦いました。でも、その反発も強くて、なかなか一筋縄ではいきませんでした。
カール4世という皇帝が出した「金印勅書(きんいんちょくしょ)」では、皇帝を選ぶルールがはっきり決まりました。選ぶのは選帝侯という7人の偉い人たち。このおかげで選び方は安定したけれど、その分、皇帝の力はちょっと弱くなってしまいました。
16世紀から17世紀にかけては、帝国の中がだんだんバラバラになっていく時期です。宗教改革や三十年戦争など、歴史の教科書にも出てくる大きな出来事が続きます。
ドイツの神学者マルティン・ルターが、「教会はちょっとおかしいぞ!」と95ヶ条の意見を発表しました。これが宗教改革のはじまりで、カトリックと新しく生まれたプロテスタントの間で大きな対立が起こります。
この和議では、「領主が信じている宗教を、その土地の人も信じなさい」という決まりが作られました。つまり、その地域のボスが宗教を決めるってことですね。いったん争いは落ち着いたけれど、根本的な解決にはならなかったんです。
チェコのあたり(ボヘミア)で起きた反乱から、ヨーロッパ全体を巻き込む大戦争に発展しました。最初は宗教のもめごとだったのが、途中から政治や領土の争いになって、とにかくめちゃくちゃ長くて激しい戦争になったんです。
この条約で三十年戦争が終わり、オランダとスイスの独立も正式に認められました。帝国の中でも、各地域が自分たちでバラバラに決められるようになって、「もう皇帝の言うことは聞かなくていいや」という空気が強くなっていきます。
18世紀の後半からは、帝国としてのパワーがどんどん落ちていって、ついにナポレオンという超強い人が出てくると、もう終わりは時間の問題になりました。
フランツ2世は「もう神聖ローマ帝国だけじゃ頼りないな」と思って、自分でオーストリア皇帝を名乗ります。これは神聖ローマ帝国の限界を見て、新しい道を選んだということなんですね。
ナポレオンの圧力で、フランツ2世は皇帝をやめますと宣言。これで、約1000年も続いた神聖ローマ帝国が静かに終わりを迎えました。大きな物語の幕が、ここで下りたんですね。
年 | 出来事 |
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800年 | カール大帝が皇帝に戴冠: フランク王カール大帝が、ローマ教皇レオ3世から「ローマ皇帝」の冠を授かる。 |
843年 | ヴェルダン条約でフランク王国が三分割: 西・中・東フランクに分裂。東フランク王国が、のちの神聖ローマ帝国へと発展。 |
962年 | オットー1世が皇帝に即位: 東フランク王オットー1世がローマ教皇から正式に皇帝として戴冠。神聖ローマ帝国の誕生。 |
1077年 | カノッサの屈辱: 皇帝ハインリヒ4世が教皇グレゴリウス7世に破門され、雪の中で謝罪。 |
1155年 | フリードリヒ1世(バルバロッサ)が皇帝に即位: イタリア遠征を行い、都市との戦いを繰り広げた中興の祖。 |
1356年 | 金印勅書の発布: 皇帝カール4世が発布した勅書で、選帝侯7人による皇帝選出の制度が正式化。 |
1517年 | ルターの95ヶ条発表: マルティン・ルターが宗教改革を開始。帝国内でプロテスタントとカトリックの対立が生まれる。 |
1555年 | アウクスブルクの和議: 領主の宗教が民の宗教という原則で、信仰の選択権が帝国内の領主に与えられる。 |
1618年 | 三十年戦争の勃発: ボヘミアの反乱をきっかけに、カトリックvsプロテスタントの大規模戦争へと発展。 |
1648年 | ヴェストファーレン条約の締結: 三十年戦争が終結。オランダとスイスの独立が承認され、帝国の主権がさらに各領邦に分散。 |
1804年 | オーストリア帝国の成立: フランツ2世がオーストリア皇帝フランツ1世として新国家を宣言。 |
1806年 | 神聖ローマ帝国の正式解体: ナポレオンの圧力でフランツ2世が皇帝退位宣言。約1000年続いた帝国が解体。 |
こうして年表で追ってみると、神聖ローマ帝国の歴史は“宗教・皇帝・諸侯”の三つ巴で動いていたって感じがしますよね。
外から攻められて滅びたわけじゃなく、内側の分裂や時代の変化で“自然に終わっていった”――それもまた、この帝国らしい歴史の流れだったのです。