
神聖ローマ帝国って、地図で見るともう境界線だらけ。王様が何人もいて、都市はそれぞれ独立していて、法律も税制もバラバラ──そんな状態で「貿易なんてできたの?」って思っちゃいますよね? でも実際には、帝国内の商人たちはたくましく、そしてしたたかに国境を越えてビジネスをしていたんです。今回は、神聖ローマ帝国における貿易の世界を、都市・制度・物流の視点からひもといてみましょう!
皇帝よりも頼れるのは、手に荷物を持った商人たち──帝国の貿易は、ほぼ都市単位で動いていました。
帝国内には数多くの自由都市や帝国都市が存在しており、それぞれが独自の貿易政策を展開。たとえばニュルンベルク、アウクスブルク、ハンブルクなどは、帝国を代表する国際商業都市でした。
都市内ではギルド(同職組合)による流通管理が徹底されており、一部の商人(パトリツィア)が貿易権益を独占。こうした商人階級が都市経済を支えるエリート層となっていました。
年に何度か開かれる定期市(メッセ)は、遠方から商人が集まり、都市どうしを結ぶネットワークの起点に。ライプツィヒやフランクフルトなどは、商業見本市の都市として特に知られています。
帝国北部では、海を舞台にした壮大な商業ネットワーク──ハンザ同盟が存在感を放っていました。
13世紀以降、リューベック、ハンブルク、ブレーメンなど北ドイツの都市が結びついて形成されたのがハンザ同盟。加盟都市は200を超え、バルト海と北海をつなぐ巨大経済圏を築きました。
スウェーデン・ノルウェー・ロシアとの交易で、木材、毛皮、魚介類、鉄などを輸入し、逆にドイツからは織物、金属製品、塩などを輸出。交易の仲介役として莫大な富を得ていたんです。
ロンドンやブルージュなどの外国都市にもハンザの商館(Kontor)が設置され、まるで“小さなドイツ領”のような役割を果たしていました。商人たちは自治権まで持ち、独自の法や守備隊まで備えていたんですよ。
国境だらけ、税関だらけの帝国内部での物流は、むしろ現代の感覚からすると超アナログ&複雑。でも、ちゃんと動いていたんです。
諸侯や都市が独自に関税を課していたため、商人は数十の関所を通過しないと目的地にたどり着けないことも。荷車1台ごとに通行料を払う…そんな光景は日常茶飯事でした。
それでも帝国内には、ライン川・ドナウ川・エルベ川といった自然の“ハイウェイ”があり、水運が重要な役割を果たしていました。とくにライン川流域は、ヨーロッパ有数の物流動脈でした。
南北・東西を結ぶ交差点に位置する都市──たとえばレーゲンスブルク、パッサウ、マインツなど──は、物流拠点としても栄え、商品の保管・換金・再出荷の中継点となっていました。