

「神聖ローマ帝国」と聞くと、皇帝や教会ばかりが注目されがちですが、実は領主たちの存在こそが、この帝国を成り立たせていた最大のファクターなんです。何しろ、皇帝の命令が全領邦に通るとは限らなかったこの帝国では、領主が持つ「自分の土地・自分の兵・自分の城」がすべての基本。
その象徴が城でした。
この記事では、神聖ローマ帝国の各地に点在した領主の城が、どんな意味を持っていたのか、どんな構造で、どんな意図で築かれたのかを掘り下げて解説します。
ただの住まいじゃない!神聖ローマ帝国の城には、明確な政治的・軍事的意味があったんです。
中世ヨーロッパでは、支配する=「城を持つ」こととほぼイコール。特に神聖ローマ帝国のように中央集権が弱い国では、領主が築いた城が実効支配の象徴だったんです。高台にそびえる石の要塞──それを見ただけで「この一帯はあの貴族の土地」とわかる、いわば“石の旗印”でした。
城はもちろん戦争時の拠点ですが、それだけじゃなく普段は徴税や裁判、徴兵などを行う中心施設でもありました。つまり「居城」と「政庁」が一体化していたわけです。とくに内乱や小競り合いが多かった神聖ローマ帝国では、防衛機能の強化が求められました。
そしてもうひとつ大事なのが、見た目の豪華さ。とくに14世紀以降になると、領主たちは他の貴族や皇帝に対して「自分はこんなに偉いぞ」とアピールするため、装飾や内装にも凝るようになります。もはや城は「見せる空間」でもあったわけですね。
神聖ローマ帝国の城は、外敵に備えるだけでなく、味方に対しても睨みをきかせる構造になっていました。
やっぱり定番は丘や岩山の上。これには軍事的利点(見晴らしがよく、攻めにくい)もありますが、同時に「周囲を見下ろす=支配している」という象徴的意味もありました。たとえばライン川沿いの数々の城は、通商と課税の要所としても重要でした。
石造りの厚い城壁、跳ね橋付きの堀、複数の見張り塔に加え、敵を迷わせる迷路のような通路配置など、細かな工夫が随所に見られます。こうした工夫は、敵からの襲撃だけでなく、同じ帝国内の“ライバル領主”への対抗策でもあったんですね。
城には台所や寝室といった居住スペースもありますが、同時に謁見の間や騎士の広間など、領主の権力を誇示する空間がしっかり設けられています。壁画や紋章、旗など、目に見える装飾がそのまま政治メッセージになっていたのです。
帝国の広さに比例して、城のタイプや特色もいろいろです。いくつか代表的なものを紹介しましょう。
バーデン=ヴュルテンベルクにあるホーエンツォレルン家の城。山頂に築かれた堂々たるシルエットは、まさに「王家の始まりにふさわしい」格式を放っています。戦略的にも象徴的にも超一級の存在。
バイエルン地方にあるゴシック様式の城で、ヴェルフェン家の拠点。城壁や塔がしっかり残っており、実用的な防衛要塞の面影をいまに伝えています。
たとえばマルクスブルク城やライヒスブルク城など。交易路と軍事要地を兼ねるこの地域では、城が関税拠点としても使われ、帝国経済に欠かせない存在でした。攻防だけじゃなく“稼ぐ城”だったんですね。