
神聖ローマ皇帝の戴冠式って、中世ヨーロッパの“究極のセレモニー”ともいえる荘厳なイベントでした。
でも実は、あれ、ただ「冠をかぶる」だけじゃないんです。王として選ばれる、ローマへ旅する、教皇に認めてもらう……と、めちゃくちゃ長くて面倒くさい「儀式フルコース」だったんです。
今回は、その戴冠式の具体的な手順と、どの教会で行われたのかを、時代ごとの違いも交えて見ていきましょう!
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神聖ローマ皇帝になるには、単に冠をかぶればいいわけじゃなくて、以下の3つの段階を順番に踏む必要がありました。
それぞれの段階で儀式や意味がぜんぜん違うので、ひとつひとつ解説していきます。
まず最初に行われるのが、「ドイツ王(ローマ王)」としての選挙と戴冠。
選帝侯と呼ばれる7人の有力者による選挙で選ばれた人物が、アーヘンのカール大帝の大聖堂で戴冠されます。
このとき使われるのが「ドイツ王冠」で、これでようやく「皇帝候補者」として名乗れるようになるんですね。
カール大帝ゆかりの地であり、「ローマ帝国の伝統を継ぐ」ことを象徴する意味もありました。
つぎに待っているのが、いわゆる“本番の戴冠”。
これがローマで行われる教皇による戴冠式です。ここで初めて、名実ともに「神聖ローマ皇帝」になります。
儀式では、教皇が皇帝の肩に手を置いて祈りを捧げ、黄金の冠を授けます。これは「神からの承認」を意味し、政治的権力だけでなく宗教的正統性をも得る瞬間だったんです。
ただし、時代によってはサン・ヨハネ・ラテラノ大聖堂でも実施された可能性があります。
カール大帝(800年)を皮切りに、多くの皇帝がローマまで旅して教皇に戴冠してもらいましたが、 後になると行けない・呼ばれない・行きたくないなどの事情でローマ戴冠は省略されることもありました。
とくに14世紀以降は、実質的にドイツ王のまま「皇帝」を名乗るようになります。
ローマで戴冠したあと、皇帝として帝国議会や諸侯にお披露目をするのが「宣言式」。
これは固定された場所ではなく、フランクフルトやニュルンベルクで行われることが多く、その土地で帝国の“国璽”を受け取り、忠誠を誓わせることで、実務上の支配権をスタートさせます。
「もう皇帝って名乗っちゃえばよくない?」と思いたくなるくらい手順が多いですが、 それには宗教と政治のバランスが大きく関わっていました。
皇帝という地位は、単に選ばれたからではなく神に認められることで初めて完成します。
だからこそ、教皇からの戴冠が必要だったんですね。
これは中世の「教会と国家が表裏一体」だった時代感覚を象徴する制度でもあります。
一方で、選帝侯による選出も重要。これは領邦諸侯たちの意見を無視できないという神聖ローマ帝国の“ゆるやかさ”を表しています。
つまり、皇帝は神に選ばれ、民にも選ばれた“両方持ち”の支配者だったというわけですね。
神聖ローマ皇帝の戴冠式は、ただの即位セレモニーじゃなくて、政治・宗教・伝統がガッチリ絡んだ、めちゃくちゃ重たい儀式だったんです。
しかも、アーヘン→ローマ→ニュルンベルクという“移動式戴冠”ってのも、中世らしくて味がありますよね。
この複雑さの中に、「皇帝って一体何なんだ?」という壮大な問いが見え隠れしてるんですよ。