「傭兵」制度や歴史を解説─神聖ローマ軍事史

傭兵とは

神聖ローマ帝国の傭兵は戦争の主力として重要な役割を果たした。諸侯が自領の軍だけでなく傭兵を雇い、三十年戦争では特に多用された。しかし、傭兵の暴虐や略奪は民衆に大きな被害をもたらし、社会不安の一因となった。傭兵の存在は戦争の長期化と帝国内部の混乱を招いた。

神聖ローマ「傭兵制度」の意義や歴史を解説

中世から近世にかけてのヨーロッパ、戦場を駆け抜けた兵士たちの中には、意外にも「自分の国のためではない」者がたくさんいました。そう、それが傭兵です。


とりわけ神聖ローマ帝国は、傭兵の舞台としても雇用先としても突出して多かった地域。なぜこの帝国では、こんなにも傭兵が活躍したのか?そして彼らは誰のために戦い、どんな影響を残していったのか? 今回はこの「雇われ兵士」のリアルに迫ります。



帝国に傭兵が多かった理由

まずは、そもそもなぜ神聖ローマ帝国で傭兵の利用が盛んだったのかを整理してみましょう。


常備軍がなかったから

神聖ローマ帝国は中央政府の常備軍を持たない国家でした。戦争が起きても、皇帝も諸侯も「その場しのぎ」で兵を集める必要があったんです。そこで便利だったのが、金さえ払えば即戦力になる傭兵という存在でした。


各領邦がバラバラに雇った

帝国は数百の領邦国家から成る分裂構造。各地で領主が勝手に傭兵を雇うというのも日常茶飯事でした。ときには同じ帝国内の領邦どうしが、傭兵を使って戦争するなんてことも…。


傭兵たちは誰のために戦ったのか

雇い主のため?皇帝のため?実はもっとドライだったのが彼らの本音です。


基本的には「金のため」

傭兵は報酬がすべて。自国への忠誠心や思想信条よりも、「高い報酬」と「確実な支払い」が大事でした。だから、昨日まで敵だった相手に、今日から仕える…なんてことも普通にあったわけです。


出自も多様だった

傭兵は、神聖ローマ帝国の農民や都市の若者だけでなく、スイス・イタリア・フランス・スカンディナヴィアなど、帝国外から来た者も多数。とくにスイス傭兵は「強い・統制が取れている・高い」と三拍子揃った人気ブランドでした。


傭兵がもたらした影響

雇われて戦っていただけ…と侮ることなかれ。傭兵たちは神聖ローマ帝国の歴史に深い爪痕を残しています。


戦争の長期化と残虐化

傭兵は「終わらせる理由」を持たないので、戦争の長期化に拍車をかけました。報酬のために略奪を繰り返し、飢餓や疫病を広めるなど民衆への被害も深刻だったんです。特に三十年戦争では、傭兵部隊による残虐行為が帝国内を荒廃させました。


軍制改革への契機となった

傭兵依存のリスクが明らかになると、17世紀以降、プロイセンやオーストリアは次第に常備軍制度の整備を進めていきます。つまり、傭兵時代の終焉が近代的な軍隊への第一歩になったとも言えるんですね。


「神聖ローマ帝国の傭兵たち」まとめ
  • 傭兵は常備軍の代替として広く雇われた:特に分裂国家である帝国では頼りにされていた。
  • 戦う動機は忠誠心より金:戦場では雇い主が変わることも珍しくなかった。
  • 戦争を長引かせ、民衆に深刻な被害をもたらした:とりわけ三十年戦争では大きな影響を及ぼした。
  • 結果的に近代軍制への改革を促した:傭兵依存から脱却する流れを生んだ。