
中世から近世にかけてのヨーロッパ、戦場を駆け抜けた兵士たちの中には、意外にも「自分の国のためではない」者がたくさんいました。そう、それが傭兵です。
とりわけ神聖ローマ帝国は、傭兵の舞台としても雇用先としても突出して多かった地域。なぜこの帝国では、こんなにも傭兵が活躍したのか?そして彼らは誰のために戦い、どんな影響を残していったのか? 今回はこの「雇われ兵士」のリアルに迫ります。
まずは、そもそもなぜ神聖ローマ帝国で傭兵の利用が盛んだったのかを整理してみましょう。
神聖ローマ帝国は中央政府の常備軍を持たない国家でした。戦争が起きても、皇帝も諸侯も「その場しのぎ」で兵を集める必要があったんです。そこで便利だったのが、金さえ払えば即戦力になる傭兵という存在でした。
帝国は数百の領邦国家から成る分裂構造。各地で領主が勝手に傭兵を雇うというのも日常茶飯事でした。ときには同じ帝国内の領邦どうしが、傭兵を使って戦争するなんてことも…。
雇い主のため?皇帝のため?実はもっとドライだったのが彼らの本音です。
傭兵は報酬がすべて。自国への忠誠心や思想信条よりも、「高い報酬」と「確実な支払い」が大事でした。だから、昨日まで敵だった相手に、今日から仕える…なんてことも普通にあったわけです。
傭兵は、神聖ローマ帝国の農民や都市の若者だけでなく、スイス・イタリア・フランス・スカンディナヴィアなど、帝国外から来た者も多数。とくにスイス傭兵は「強い・統制が取れている・高い」と三拍子揃った人気ブランドでした。
雇われて戦っていただけ…と侮ることなかれ。傭兵たちは神聖ローマ帝国の歴史に深い爪痕を残しています。
傭兵は「終わらせる理由」を持たないので、戦争の長期化に拍車をかけました。報酬のために略奪を繰り返し、飢餓や疫病を広めるなど民衆への被害も深刻だったんです。特に三十年戦争では、傭兵部隊による残虐行為が帝国内を荒廃させました。
傭兵依存のリスクが明らかになると、17世紀以降、プロイセンやオーストリアは次第に常備軍制度の整備を進めていきます。つまり、傭兵時代の終焉が近代的な軍隊への第一歩になったとも言えるんですね。