
神聖ローマ帝国の歴史を見ていくと、「自前の軍隊を持たない皇帝」や「戦のたびに兵をかき集める領主」など、軍事面のフラフラさが目立ちますよね。
でもその“穴”を埋めていたのが、まさに傭兵(ようへい)たち。
彼らは「金で雇われるプロの戦士」として、帝国のあちこちに現れ、戦争と権力争いの裏でしれっと大活躍したり、やらかしたりしていたんです。
この記事では、神聖ローマ帝国における傭兵の役割・変遷・問題点を、時代ごとに追いながら紹介していきます!
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そもそも神聖ローマ帝国では、なぜ“お金で雇う兵士”がこんなに重宝されたのか?
それは、帝国の軍事体制の特殊さに理由がありました。
神聖ローマ帝国では、皇帝ですら国全体を動かせる軍隊を持っていなかったんです。
軍隊は基本的に、各諸侯が自前で用意するもの。
でも、「戦のときだけ急募!」みたいなスタイルだったので、経験や訓練の質がまちまちでした。
そこで「いつでも雇える戦闘のプロ」=傭兵に頼るのが最も効率的だったわけです。
中世後期から近世にかけて、戦争がどんどん大規模化・長期化していきます。
農民の動員だけでは太刀打ちできなくなり、傭兵による機動力・火力・経験が重要視されるようになっていきました。
傭兵の活躍は時代によって姿を変えていきます。
ここでは、特に重要だった傭兵集団をいくつか取り上げます。
ランツクネヒト(Landsknecht)は、15世紀末から16世紀にかけて活躍したドイツ系の傭兵部隊。
華やかな衣装とピケ(長槍)や大剣を使った戦法が特徴で、ハプスブルク家を中心に神聖ローマ帝国の“主力兵”として大人気でした。
など、扱いが難しい“強くてめんどくさい兵士たち”でした。
スイス出身の傭兵団も、帝国内外で引っ張りだこ。
特にスイス槍兵は歩兵の革命をもたらした存在で、騎士を圧倒するほどの戦闘力を誇りました。
ただし彼らは独立心もプライドも高いので、帝国に雇われるというよりは、「報酬と条件が良ければ手を貸してやる」くらいのスタンスでした。
便利だけど扱いが難しい――それが傭兵の宿命。
神聖ローマ帝国でも、彼らへの依存は戦争の激化や混乱の長期化につながる一因となりました。
17世紀の三十年戦争では、帝国の内戦が国際化・長期化し、戦場にいたのはほぼ傭兵軍団という状態に。
しかも給料はしょっちゅう滞るので、彼らは戦場の村や都市を好き放題略奪していきます。
ヴァレンシュタインという有名な傭兵司令官は、皇帝からの信任を得つつも自分で国家のような軍隊を築き上げ、最終的には“危険視されて暗殺される”という展開にまで発展しました。
傭兵たちは、戦場で戦うだけではなく、周辺の民間人にとっても恐怖の対象でした。
食料・金・女性――なんでも奪っていく彼らの存在は、「神聖ローマ帝国=戦争と略奪の連鎖」というイメージすら生み出してしまいます。
18世紀以降、近代国家の形成とともに常備軍が整備され始め、傭兵に頼る体制は次第に衰えていきます。
プロイセンのような強力な常備軍国家が出現すると、「お金で兵を集めるより、国家で訓練した兵士を持ったほうが強い」という流れに。
帝国も徐々にそうした方向へと変化していきましたが、中央が弱いままだったため、各地で傭兵文化がしぶとく残ったのも事実です。
帝国が解体された後も、傭兵文化は完全には消えず、一部は軍事請負会社や領邦の護衛部隊などへと形を変えていきました。
神聖ローマ帝国の傭兵史は、「軍隊を国家が直接持たない」という構造が、どれだけ戦争を“商売”にしてしまったかの好例です。
でもそれは同時に、戦いを生き延びたプロたちが活躍できる舞台でもありました。
戦争の裏にいた“雇われ戦士”たちの歴史をたどると、帝国のリアルな素顔が見えてくるんですよ。