
神聖ローマ帝国って「バラバラだった」「皇帝の権限が弱かった」なんてよく言われますが、そんな中でも経済面ではピカイチに輝いていた都市たちがいたんです!
彼らは皇帝や王に頼らずに、自前の商人ネットワーク・金融・市場を育て上げ、中世〜近世ヨーロッパの商業の中心地として大活躍しました。
この記事では、そんな神聖ローマ帝国の代表的な経済都市たちと、その発展の背景を見ていきましょう!
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皇帝の命令が全域に届くような国じゃなかった神聖ローマ帝国では、地方都市がそれぞれ独自の経済圏を築くというスタイルが広がっていきました。
まず神聖ローマ帝国には、以下のような特徴を持つ、自由都市と帝国都市と呼ばれる都市が存在しました。
これらの都市は「帝国の中の独立経済体」みたいな存在で、皇帝に税金を納める代わりにほぼ自立していました。
職人たちはギルド(同業組合)を作って品質や価格を管理し、商人たちはハンザ同盟のようなネットワークを作って、遠隔地貿易をガンガン回していきます。
都市経済の成長には、こうした地元民による“商業自治”が大きな力を発揮していたんです。
ここからは、特に有名な経済都市をピックアップして、それぞれの“得意分野”や発展の背景を見てみましょう!
バイエルン地方にあるアウクスブルクは、ルネサンス期にフッガー家という大富豪一族が登場して大発展。
銀行家一族である同家は、
などで都市経済に貢献し、ロンドンやフィレンツェと並ぶ金融センターの座にアウクスブルクを押し上げました。
中部ドイツにあるフランクフルトは、交通の要所であり、古くから大規模な定期市(メッセ)で有名。
商人たちが年に2回、帝国中から集まり、ヨーロッパ各地の特産品が取引される国際市場になっていました。
しかもここは神聖ローマ皇帝の選挙都市でもあって、政治と経済の接点でもあったんです。
ニュルンベルクは手工業の都。時計、楽器、武器などの高品質な工芸品で有名でした。
また東西の交易路が交差する場所にあり、中継貿易の要所としても栄えます。
さらに皇帝の滞在先にも選ばれることが多く、経済と文化のバランス型都市として知られていました。
バルト海に面したリューベックは、北ドイツのハンザ同盟の盟主として知られています。
この同盟は、北海〜バルト海の都市が連携して、安全な貿易・海運ルートを確保するために作られました。
リューベックはまさにその中心で、北方の“帝国の玄関口”として機能していたんです。
分裂した帝国の中で、逆に都市が発展できたのにはいくつか理由があります。
諸侯や皇帝が強い支配を及ぼせなかったぶん、都市が自力で経済活動を回す必要と自由があったんです。
この「自由を守るための自治」こそが、中世都市の発展を支えました。
印刷術や貨幣経済の進展に加えて、プロテスタントの広がりにより、都市には新しい知識や教育の拠点が集まるようになります。
特に帝国内では、宗教改革の影響で市民階層が自立的に学び・稼ぐ土壌が強まったんですね。
神聖ローマ帝国の経済都市たちは、バラバラな帝国の中で“自治の力”で成り上がったスターたちでした。
それぞれの都市が得意分野を活かして、帝国を経済的に下から支えていた――
そんな“バラバラだからこそ多様に強い”のが、この帝国のもう一つの魅力なんです。