
神聖ローマ帝国って、「ゆるい連邦」とか「皇帝にあんまり権限がない」みたいな印象が強いんですが、そんな中でもバチッと戦場で結果を出してきた将軍たちがちゃんといたんです。
彼らは皇帝直属だったり、有力諸侯の家臣だったり、ときには皇帝に反旗を翻す側だったりもしましたが、それぞれが戦争の中で帝国の運命を左右するような活躍を見せています。
この記事では、神聖ローマ帝国出身の歴史に名を残す将軍たちを時代ごとにご紹介します!
|
|
この時代の将軍たちは、貴族として軍を率いたり、皇帝の名のもとに十字軍を指揮したりと宗教と武力がセットでした。
帝国が騎士文化を背景にしながらも、次第に傭兵やプロの軍人を重用する方向に変わっていく時代でもあります。
皇帝でありながら自ら軍を率いて戦うカリスマ将軍だった人物。
第3回十字軍に参加して、現地での存在感は絶大。途中で水死してしまうという悲劇的な最期でしたが、「バルバロッサ(赤ひげ)」というニックネームで戦う皇帝の象徴として語り継がれました。
「鉄の義手の騎士」として有名な帝国騎士。腕を失っても鉄製の義手で戦い続けた不屈の戦士です。
帝国騎士団の一員として各地を転戦し、暴れん坊だけど義理堅いキャラで民間伝承にも登場します。
17世紀の三十年戦争は、神聖ローマ帝国にとって国家のカタチそのものが問われた大戦争でした。
この時代には近代的な軍制とプロ軍人の登場が進み、将軍たちの役割もぐっと大きくなっていきます。
ボヘミア出身の将軍で、神聖ローマ皇帝フェルディナント2世に仕えた超有名な傭兵司令官。
独自に巨大な軍を組織し、自前で軍費もまかなう軍事企業家のような存在でした。
あまりに強くなりすぎて皇帝に警戒され、最終的には暗殺されてしまうという波乱の生涯です。
バイエルン選帝侯に仕えたカトリック側の総司令官。
忠実で慎重な戦術家として知られ、ブライテンフェルトの戦いでスウェーデン軍に敗れるまで帝国軍の屋台骨を支えました。
質実剛健タイプの名将です。
18世紀後半〜19世紀初頭、帝国はナポレオン戦争の渦に巻き込まれて最終的に解体されていきます。
そんな中でも、帝国を守るため、あるいはその後のオーストリア帝国へつながる軍事力の礎を築くために活躍した将軍たちがいました。
ナポレオン戦争時代にオーストリア軍を率いた名将。
皇帝フランツ2世の弟で、アウステルリッツの戦いでは敗れましたが、のちの反攻で帝国軍再建の中心人物となります。
神聖ローマ帝国が解体されたあとも、ハプスブルク帝国の軍事力を支えました。
上のカールと同一人物。戦術理論家としても知られ、近代的な軍制改革に取り組みました。
彼の残した軍事思想は、のちのオーストリア=ハンガリー帝国やプロイセン軍にも影響を与えていきます。
神聖ローマ帝国って、実は「皇帝の命令ひとつで全軍が動く」みたいな世界じゃなかったんです。
だからこそ、各地の有力将軍たちが独自の判断と手腕で戦場を動かしてきました。
そのぶん、軍人としての個性や知略がめちゃくちゃ問われる舞台でもあったんですよ。