
「帝国」と聞けば強大な軍隊を思い浮かべるかもしれませんが、神聖ローマ帝国の場合、ちょっと事情が違います。というのもこの国、実は常備軍を持たない“寄せ集めの国”だったんです。そんな中で戦を仕切るには、皇帝だけでなく、個々の諸侯や傭兵たちの腕前がモノを言いました。
この記事では、そんな神聖ローマ帝国出身の軍人・将軍たちに注目し、「統一なき帝国」に現れた戦の名手たちを紹介していきます。
17世紀の神聖ローマ帝国を荒廃させた「三十年戦争」は、まさに軍人たちの腕の見せ所。中でも傑出した存在が何人もいました。
ボヘミア出身の有力貴族にして、帝国随一の傭兵将軍。私財を投じて大軍を編成し、皇帝フェルディナント2世の側近として戦局の主導権を握ります。ときに皇帝すら凌ぐ影響力を持った彼は、野心と策略に満ちた“帝国最大の軍事的異才”といえるでしょう。
カトリック同盟の軍司令官で、三十年戦争初期の名将。白山の戦いやマールブルクでの勝利で名を馳せ、皇帝軍の支柱として活躍しました。ヴァレンシュタイン登場前の帝国軍の顔といえばこの人です。
神聖ローマ帝国末期、そして解体後のオーストリア帝国の時代には、フランス革命とナポレオンに立ち向かう名将たちが登場します。
皇帝フランツ2世の弟であり、帝国最後の名将とも称される人物。1809年のアスペルン=エスリンクの戦いでは、ナポレオンに初の敗北を与えたことで有名。戦略眼と規律重視の指導で、ハプスブルク軍の再編にも貢献しました。
神聖ローマ帝国出身で、オーストリア帝国においても半世紀以上軍務を全うした老将。ロンバルディア遠征や反乱鎮圧で辣腕をふるい、“近代将軍の原型”として尊敬を集めました。なお、あの有名な『ラデツキー行進曲』は彼に捧げられたものです。
帝国では地方ごとに武力を握る有力者がいて、皇帝と対等に渡り合うこともありました。
プファルツ選帝侯で、1619年にはボヘミア王にも就任。ハプスブルク家に対抗して戦争の引き金を引いた人物として有名ですが、同時に自ら兵を率いて帝国の運命を動かした政治軍事指導者でもあります。「冬の王」としての短命政権は、軍事と政治の難しさを象徴する存在でした。
傭兵隊長として数々の戦場を駆け巡った自由傭兵の代表格。フリードリヒ5世に仕えつつ、独自に軍を編成し、ときに略奪や暴走も辞さなかったその姿は、まさに「帝国戦国時代」の風雲児。傭兵制度と戦争経済のリアルがここにあります。