即位しても皇帝じゃない?神聖ローマ皇帝とドイツ王の違いとは

神聖ローマ皇帝とドイツ王の違い

神聖ローマ皇帝は「ドイツ王」に選ばれた者が教皇の戴冠を受けて正式に即位する称号。ドイツ王(ローマ王)は皇帝候補としての立場で、まず選帝侯に選ばれる必要がある。皇帝位は名目的に上位だが、即位には教皇の承認が必要で、実現しない場合もあった。よってドイツ王=皇帝ではなく、両者は段階的な関係にある。

即位しても皇帝じゃない?神聖ローマ皇帝とドイツ王の違いとは

神聖ローマ帝国の歴史を紐解いていくと、「皇帝」とは別にローマ王(ドイツ王)というちょっとややこしい肩書きが登場してきます。「即位したのにまだ皇帝じゃないの?」「ドイツ王とローマ王って同じ?それとも違うの?」──そんな疑問を持つのも無理はありません。


この記事では、神聖ローマ皇帝とローマ王(ドイツ王)の違いや関係性、そしてこの不思議な二重構造ができあがった背景を、歴史的な文脈とともにわかりやすくかみ砕いて解説していきます。



そもそも「ローマ王」とは何者か?

神聖ローマ帝国において、皇帝になる前段階の存在──それが「ローマ王」です。


選帝侯に選ばれるのはまず「ローマ王」

神聖ローマ帝国の制度では、皇帝は選帝侯たちによる選挙で選ばれますが、当選したその時点で名乗る称号は「ローマ王(rex Romanorum)」。これは「将来、皇帝になる予定の王」という意味合いをもっていました。つまり、当選=即「皇帝」ではなかったんです。


ローマ王=ドイツ王でもあった

この「ローマ王」は、実際にはドイツ地域の支配者を意味する存在でもありました。だからときに「ドイツ王」とも呼ばれ、帝国の北部・中部を統治する立場にありました。要するに「ローマ王=神聖ローマ帝国の“本体部分”の王様」だったということですね。


アルブレヒト2世 ローマ王(ドイツ王)の肖像

ローマ王(ドイツ王)アルブレヒト2世
ローマ王(ドイツ王)アルブレヒト2世(1397 - 1439)は選出後まもなく死去したため、神聖ローマ皇帝として戴冠することはなかった。

出典:anonymous(著者不明) / Public domainより


皇帝になるには“ある儀式”が必要

ローマ王になったからといって、すぐに皇帝と名乗れるわけではありませんでした。そのための大きなハードルがあったんです。


教皇による戴冠式が必須だった

中世において「皇帝」を名乗るには、ローマに赴き、ローマ教皇から直接冠を授かる必要がありました。これは単なる儀式ではなく、「キリスト教世界の正統な皇帝」として認められるための絶対条件だったんです。ゆえに、ローマ王になっても、戴冠前は“準皇帝”という立場でした。


実際に皇帝になれないケースもあった

皇帝として即位するにはローマまでの安全な移動教皇との関係も重要。教皇と敵対していたり、戦争が続いていたりすると戴冠できず、ローマ王のまま死去する例もありました。つまり「ローマ王=皇帝候補」「皇帝=教皇公認の最終形態」だったわけです。


近世には区別があいまいに

中世後期から近世にかけて、「ローマ王と皇帝」の使い分けも徐々に変化していきました。


教皇からの戴冠を省略しはじめた

16世紀以降になると、皇帝になってもわざわざ教皇から戴冠されに行かないケースが増えてきます。たとえばマクシミリアン1世は教皇の戴冠を受けないまま「皇帝」と名乗ることを認められました。これ以降、選出された時点で“皇帝”としてふるまうのが一般的になっていきます。


「ローマ王」は皇太子の称号に

皇帝の息子を早めに選帝侯に選ばせ、彼に「ローマ王」を名乗らせることも増えていきました。これは、皇位の世襲を既成事実化するための戦略でもあったんです。こうして「ローマ王」は、次の皇帝候補としての“太子号”のような意味合いを強めていくことになります。


「神聖ローマ皇帝とローマ王の違い」まとめ
  • ローマ王は皇帝の前段階:選帝侯に選ばれた時点で「ローマ王」を名乗るが、まだ皇帝ではない。
  • 皇帝になるには教皇の戴冠が必要:中世では戴冠なしでは正式な皇帝と認められなかった。
  • 近世以降はローマ王=皇太子に:戴冠なしで皇帝を名乗るようになり、ローマ王は次期皇帝を示す称号となった。