

神聖ローマ帝国の歴史を紐解いていくと、「皇帝」とは別にローマ王(ドイツ王)というちょっとややこしい肩書きが登場してきます。「即位したのにまだ皇帝じゃないの?」「ドイツ王とローマ王って同じ?それとも違うの?」──そんな疑問を持つのも無理はありません。
この記事では、神聖ローマ皇帝とローマ王(ドイツ王)の違いや関係性、そしてこの不思議な二重構造ができあがった背景を、歴史的な文脈とともにわかりやすくかみ砕いて解説していきます。
神聖ローマ帝国において、皇帝になる前段階の存在──それが「ローマ王」です。
神聖ローマ帝国の制度では、皇帝は選帝侯たちによる選挙で選ばれますが、当選したその時点で名乗る称号は「ローマ王(rex Romanorum)」。これは「将来、皇帝になる予定の王」という意味合いをもっていました。つまり、当選=即「皇帝」ではなかったんです。
この「ローマ王」は、実際にはドイツ地域の支配者を意味する存在でもありました。だからときに「ドイツ王」とも呼ばれ、帝国の北部・中部を統治する立場にありました。要するに「ローマ王=神聖ローマ帝国の“本体部分”の王様」だったということですね。

ローマ王(ドイツ王)アルブレヒト2世
ローマ王(ドイツ王)アルブレヒト2世(1397 - 1439)は選出後まもなく死去したため、神聖ローマ皇帝として戴冠することはなかった。
出典:anonymous(著者不明) / Public domainより
ローマ王になったからといって、すぐに皇帝と名乗れるわけではありませんでした。そのための大きなハードルがあったんです。
中世において「皇帝」を名乗るには、ローマに赴き、ローマ教皇から直接冠を授かる必要がありました。これは単なる儀式ではなく、「キリスト教世界の正統な皇帝」として認められるための絶対条件だったんです。ゆえに、ローマ王になっても、戴冠前は“準皇帝”という立場でした。
皇帝として即位するにはローマまでの安全な移動や教皇との関係も重要。教皇と敵対していたり、戦争が続いていたりすると戴冠できず、ローマ王のまま死去する例もありました。つまり「ローマ王=皇帝候補」「皇帝=教皇公認の最終形態」だったわけです。
中世後期から近世にかけて、「ローマ王と皇帝」の使い分けも徐々に変化していきました。
16世紀以降になると、皇帝になってもわざわざ教皇から戴冠されに行かないケースが増えてきます。たとえばマクシミリアン1世は教皇の戴冠を受けないまま「皇帝」と名乗ることを認められました。これ以降、選出された時点で“皇帝”としてふるまうのが一般的になっていきます。
皇帝の息子を早めに選帝侯に選ばせ、彼に「ローマ王」を名乗らせることも増えていきました。これは、皇位の世襲を既成事実化するための戦略でもあったんです。こうして「ローマ王」は、次の皇帝候補としての“太子号”のような意味合いを強めていくことになります。