
「もしも神聖ローマ帝国が絶対王政だったら」―― もうね、これ、世界史の中でも指折りの「ありえそうでありえなかった」仮定です。
実際には皇帝の権限がめちゃくちゃ制限されたバラバラ国家だったのに、もしここがフランスやロシアみたいに“皇帝の一声で何でも決まる”絶対王政国家になっていたら……
いったいヨーロッパの歴史はどう変わっていたのか?
そんな歴史のIF(もしも)を、妄想たっぷりに展開してみましょう!
|
|
神聖ローマ帝国が絶対王政になるってことは、皇帝が議会や諸侯を無視して政策を自由に決められる体制になっているということです。
たとえばフランスでは、ルイ14世が「朕は国家なり」と言ったように、王様の意思=国家の意思とされる絶対王政が成立していました。
もし神聖ローマ皇帝がそれと同じような中央集権+王権強化をやれていたら、帝国は完全に“ドイツ型大国家”として動いていたかもしれません。
絶対王政に向かうには、ざっくり言って以下の条件が必要です。
実際にはこれ全部が神聖ローマ帝国ではうまくいかなかったわけですが、逆に言えば、それさえできていれば…?
一番の大変化はここ!
絶対王政が成立していたら、帝国は早くから「ドイツ統一国家」として機能していた可能性があります。
プロイセンやバイエルン、ザクセンといった地域が全部“皇帝の下に一本化”されていたら、ヨーロッパの「分権vs中央集権」の構図は大きく変わっていたかも。
ナポレオン後に苦労してドイツ帝国を作るより、もっと早く、もっと強力な“先取り型ドイツ”が誕生していたかもしれません。
神聖ローマ帝国は「何でも話し合いで…」というイメージですが、もし皇帝が自由に軍を動かして、法律を作って、宗教政策まで決めていたら…
ライバル国たちも相当ビビっていたでしょうね。
実際の三十年戦争では、皇帝が各地のプロテスタント諸侯を抑えきれずに泥沼化。
でももし絶対王政なら、プロテスタント反乱を瞬殺して、カトリック帝国として統一されていた可能性もあります。
強力すぎる皇帝体制が続いたら、それへの反発から革命がドイツで先に起きていた可能性もあります。
「自由か、皇帝か」みたいな構図で、まったく違うヨーロッパが生まれていたかもしれません。
ここまで妄想してきましたが、やっぱり「神聖ローマ帝国が絶対王政になるのはムリだった」とされるのには理由があります。
とにかくバラバラ。最盛期で1,000以上の小国・都市・教会領がひしめき合っていた世界で、全部を一気に皇帝の支配下に置くなんて、たぶん魔法でもない限り無理です。
皇帝は世襲じゃなくて選帝侯の投票で決まるので、選ばれるために譲歩しまくり。
そもそも「強すぎる皇帝」を嫌う仕組みが制度に組み込まれていたんです。
帝国が宗教的に統一されていなかったことも、中央集権化を阻む大きな壁でした。
宗教政策ひとつ取っても「諸侯の自由」が優先されていたんです。
もし神聖ローマ帝国が絶対王政を確立していたら、ヨーロッパの歴史は根本から変わっていたかもしれません。
でもその“もし”が実現しなかったからこそ、千年も続いた「ゆるやかな帝国」が生まれた。
強くまとまる代わりに、多様性と妥協で続いた世界――それが、神聖ローマ帝国の魅力でもあるんです。