金印勅書って誰が何の目的でつくったの?

「金印勅書(きんいんちょくしょ)」―― 名前だけ聞くとなんだかお堅そうですが、これって神聖ローマ帝国にとっては“皇帝の選び方”を公式ルールにした超重要文書なんです。
でも「なんでそんなルールが必要だったの?」「誰が作ったの?」ってなると、意外とちゃんと説明できる人は少ないかも。
この記事では、この金印勅書が作られた背景、誰がどういう目的で発布したのかを、神聖ローマ帝国のドタバタな選挙事情とあわせてわかりやすく見ていきます!

 

 

そもそも「金印勅書」って何?

金印勅書(Golden Bull)は、1356年に神聖ローマ皇帝カール4世が発布した勅令です。
一言でいうと、これは「皇帝をどうやって決めるか」について定めた選挙マニュアルなんです。

 

名前の由来は“金の印章”から

この勅書には純金製の公式印章(=金印)がぶら下げられていたので、こんな名前になったんですね。
内容はお堅いけど、見た目はめちゃくちゃ豪華でした。

 

なぜそんな勅書が必要だったの?

発布される前の神聖ローマ帝国では、皇帝の選び方がめちゃくちゃ曖昧でした。
選帝侯の数も立場もバラバラ、同時に複数の皇帝候補が立っちゃうこともあるくらいで、皇帝の空位や内戦が頻発していたんです。
これをなんとかして制度として整備しようとしたのが金印勅書の目的でした。

 

金印勅書を出したのは誰?どんな人?

この勅書を発布したのは神聖ローマ皇帝カール4世(在位:1355–1378)。 実はこの人、かなりの“制度オタク”で政治巧者だったんです。

 

自分の地位を安定させるための一手

カール4世はもともとボヘミア王国(現在のチェコ)出身で、選帝侯の一人でもありました。
彼は、皇帝位を手に入れたあとも他の諸侯に足元をすくわれないように、「皇帝選びのルールをはっきりさせて、自分の正統性を確立したい!」と考えたんです。

 

“実は自分に有利なルール作り”だった

たとえば、金印勅書ではボヘミア王は選帝侯として最優遇されていて、しかも選挙に必要な票数(過半数)も固定。
つまり、「自分に近い選帝侯で過半数が取れるように」設計されてたわけです。このへん、めっちゃ計算高いです。

 

金印勅書が定めた内容って?

条文は長いけど、ポイントは以下の通り。神聖ローマ帝国にとって“国の骨組み”を決める内容でした。

 

① 皇帝選挙のルールを明文化

選挙は選帝侯7人によって行われ、過半数(4票)で即決。
しかも少数派は絶対に異議を唱えられないという鉄のルール。
このおかげで「複数の皇帝が乱立する事態」は激減しました。

 

② 選帝侯の地位と特権を保障

選帝侯たちは自分の領地内で裁判・通貨発行・通商などを自由に行えるなど、ほぼ“国王並み”の権限を得ました。
その代わり、皇帝選びという大仕事を引き受けるというわけです。

 

③ 他の貴族を“選挙に関われないようにした”

他の諸侯や教会が口出しできないように、選挙の参加者と手続きが厳密に限定されました。
これは選挙のたびに内乱が起きるリスクを減らすためでもありました。

 

金印勅書がもたらした影響とは?

この勅書は、神聖ローマ帝国にある意味で“安定”をもたらした一方で、中央集権の妨げになる仕組みでもあったんです。

 

皇帝の正統性は高まった

「ルールに従って選ばれた皇帝」という制度的な正当性が明確になったことで、内戦や空位期間は少しずつ減っていきました。

 

でも、選帝侯が強すぎる国に

選帝侯の特権が強化されすぎて、皇帝の力が逆に制限されてしまいました。
その結果、神聖ローマ帝国は「皇帝がいても実際には諸侯がバラバラに動く」分権国家として固定化されることになります。

 

金印勅書は、神聖ローマ帝国に安定した皇帝選出のルールを与えた一方で、地方分権を制度として確定させた“諸刃の剣”でもありました。
それでも、この制度が400年以上も続いたこと自体、この帝国がいかに“話し合いで国を回す”政治文化を持っていたかの証でもあるんです。