
神聖ローマ帝国とスウェーデンって、一見するとあまり接点がなさそうに見えますよね?
でも実はこのふたつ、17世紀にがっつり関わり合いを持つことになります。特に三十年戦争の中でスウェーデンがド派手に帝国に介入し、大きな爪痕を残すんです。
「北欧の小国が、なぜドイツの内戦に?」と不思議に思うかもしれませんが、そこには宗教・政治・バランス外交が絡んだ複雑な背景があったんですね。
今回はそんな神聖ローマ帝国とスウェーデンの歴史的関係について、特に三十年戦争を中心に紐解いていきます。
|
|
神聖ローマ帝国とスウェーデンが真正面からぶつかったのは、何といっても三十年戦争(1618〜1648年)。
ここでスウェーデンは「北方の守護者」みたいな顔をして、がっつり帝国内部に介入してくるんです。
1620年代、神聖ローマ帝国ではカトリックとプロテスタントの内戦が激化していました。
そんな中、スウェーデンのグスタフ2世アドルフ(1594 - 1632)がプロテスタント側を支援する名目で登場。
でも実際には、「神のため」だけじゃなくて、バルト海の制海権拡大やドイツ市場への影響力確保という現実的な狙いもあったんです。
1631年のブライテンフェルトの戦いでは、スウェーデン軍が帝国のカトリック軍を打ち破ります。
この勝利で、スウェーデンは一気にヨーロッパの一流プレイヤーとして注目される存在に。
帝国にとっては「外から来た異分子」が中心になって戦局を動かす、なんとも皮肉な展開でした。
ところが翌年、1632年のリュッツェンの戦いでスウェーデンは勝利するものの、グスタフ・アドルフが戦死してしまいます。
彼の死はプロテスタント陣営にとっても大きな痛手で、以降は戦局が混迷を深めていくことになります。
スウェーデンは「信仰の守護者」としてやってきたはずが、気がつけば帝国内での“もう一つの権力”になっていたんです。
スウェーデンの目的は単なる宗教支援ではありませんでした。
実際には、ドイツ北部の沿岸都市を占拠し、バルト海交易を牛耳る足場を築くのが大きな狙い。
帝国の諸侯たちから見れば、「助けに来たはずなのに、がっつり居座ってるんだけど…」という印象だったかもしれません。
1648年のヴェストファーレン条約では、スウェーデンは西ポンメルン・ヴァルデンゼー・ブレーメンなどの領土を獲得。
つまり、戦争を通じて神聖ローマ帝国の正式な構成領邦としての地位まで手に入れたんです。
「お客さん」から「中の人」になったというわけですね。
条約後、スウェーデン国王は神聖ローマ帝国の選帝侯議会にも参加できる立場となり、政治的にも深く関わるようになります。
この状態は、18世紀に至るまで続き、スウェーデンは神聖ローマ帝国の一角を占める外様大名みたいなポジションになっていくんですね。
神聖ローマ帝国とスウェーデンの関係は、もともとはまったく無関係のようでいて、三十年戦争という歴史の嵐の中で、深く結びつくことになったんです。
スウェーデンにとっては、信仰・外交・経済、すべてをかけた“大勝負”だったし、帝国にとっては、自分たちの中に「外の力」が入り込んできた苦い経験でもありました。
この関係性が、その後のヨーロッパ秩序にも大きく影響していったわけです。