
神聖ローマ帝国って、政治的にはバラバラの連合体でしたが、じつは科学の分野ではヨーロッパでも有数の“知の温床”だったんです。修道院、大学、宮廷、都市国家……それぞれが独自に学問を育てていたからこそ、多彩で個性的な科学者が生まれる土壌が整っていたんですね。
この記事では、そんな神聖ローマ帝国出身の科学者たちに注目して、彼らがどんな発見をし、どんな時代背景の中で活躍したのかを紹介していきます。
近代科学が生まれる以前、科学と宗教、自然観察と神秘思想は分かちがたく結びついていました。
「大アルベルト」とも呼ばれるドミニコ会士で、自然哲学・神学・錬金術に通じた万能の学者。アリストテレス哲学をラテン語で解釈しながら、鉱物や植物など自然物の記述にも取り組み、後の自然科学の土台を築きました。弟子にトマス・アクィナスを持つことでも知られます。
医学・化学・錬金術を融合させた異端の医学者。従来のガレノス医学を否定し、「人体は化学的バランスで成り立つ」と主張。これが近代医学の方向性を大きく変えるきっかけとなりました。自然観も独自で、神秘思想と科学的実験が混在するまさに“帝国らしい”人物です。
ルネサンスから啓蒙期にかけて、神聖ローマ帝国内からは、世界の見方を変える発見が相次いで登場します。
プラハの天文官として惑星の楕円軌道を発見した天文学者。当時の支配的だった天動説に一石を投じ、コペルニクスの地動説を実証するうえで重要な役割を果たしました。数学と神の調和を結びつける彼の視点は、帝国の宗教的世界観を背負いながらも、明らかに近代へとつながるものでした。
鉱山学の祖と呼ばれる学者で、著作『デ・レ・メタリカ(鉱山技術について)』は、鉱物学と冶金技術の体系的解説として16世紀の標準文献に。帝国の鉱山都市(ザクセンなど)で培われた実学的知識を、はじめて整理した点でも画期的でした。
18世紀に入ると、神聖ローマ帝国でも「合理性」や「普遍知」を重視する動きが広がり、学術制度の整備とともに科学者が生まれます。
数学・哲学・論理学を横断した汎才の天才。微積分法の発見でニュートンと並び称されるほか、「二進法」や「モナド論」など、現代情報科学にも通じる発想を持っていました。帝国の顧問官としても活躍し、学問と行政の接点を築いた点でも特筆されます。
オーストリアで活躍した医師・研究者で、ヨーゼフ2世の医療改革を支えた人物。精神疾患への観察的対応や、薬物実験の方法論など、現代臨床医学の前段階となるような考察を数多く残しました。