
神聖ローマ帝国と古代ローマ帝国──どちらも「ローマ」という言葉を冠しているせいで、まるで同じ系譜にあるように思えますよね。でも実際は、時代も国の性格もぜんぜん違います。名前こそ似ているものの、中身はまったくの別物と言っていいんです。
この記事では、そんな「古代ローマ帝国」と「神聖ローマ帝国」の決定的な違いについて、政治制度・文化・世界観の観点からわかりやすくかみ砕いて解説します。
まず注目したいのが、それぞれの国家が何を目指していたのかという根本的なコンセプトのちがいです。
古代ローマ帝国は、紀元前1世紀にアウグストゥスが初代皇帝となって始まった、超中央集権的な軍事・行政国家。地中海世界の覇権を握り、実効支配と秩序の維持を最優先にした国家体制を築いていました。法、道路、軍隊、建築物、どれを取っても現実の統治のために動いていたわけです。
ローマ帝国の最盛期(1~2世紀)の領域
ローマ帝国の最盛期は地中海世界を一体化した広大な領土を誇ったが、神聖ローマ帝国の領土は主に中部ヨーロッパに限られ、規模も統治体制も大きく異なっていた。
出典:Kaiser&Augstus&Imperator / CC BY-SA 4.0より
一方、神聖ローマ帝国は962年にオットー1世が皇帝冠を授かって成立した国家で、目指したのは「キリスト教世界の秩序を象徴する存在」。ローマ帝国の名前を借りてはいますが、実態はほぼ名目と権威の国だったんです。
ふたつの「ローマ帝国」は、その支配体制にも決定的なちがいがありました。
古代ローマでは、皇帝の命令は全土に行き渡り、属州には総督が派遣されて軍事・行政・税制を一元管理していました。国家としての骨組みは強固で、「ローマ=一つの国家」という実感があったんです。
それに対して神聖ローマ帝国は、何百もの諸侯・都市・教会領がバラバラに存在する連合体。皇帝の命令といっても、地方ごとに無視されることも多く、「帝国」として一体化している感覚はほとんどなかったのです。
ふたつの帝国は、宗教との向き合い方にも明確な差がありました。
古代ローマ初期はユピテルやミネルウァといった神々を信仰する多神教社会でした。3世紀以降にキリスト教が拡大し、コンスタンティヌス帝によって公認・国教化されますが、それは帝国後期の話。もともと宗教と国家は明確に分離されていました。
神聖ローマ帝国は誕生の時点から教皇との結びつきが極めて強く、むしろ「皇帝と教皇がワンセット」でヨーロッパ世界を支配する構想のもとに作られた国でした。政治と宗教が不可分だったことが、のちの叙任権闘争や宗教改革にもつながっていくんです。