古代ローマ帝国とはまるで別物?神聖ローマ帝国との決定的な違い

神聖ローマ帝国とローマ帝国の違い

ローマ帝国は古代に成立した地中海世界の大帝国で、強力な皇帝による中央集権体制が特徴だった。一方、神聖ローマ帝国は中世以降のヨーロッパに登場した名目的な「ローマ帝国の継承者」であり、選挙制の皇帝と分権的な領邦によって成り立っていた。実態としてはまったく異なる存在である。

古代ローマ帝国とはまるで別物?神聖ローマ帝国との決定的な違い

神聖ローマ帝国古代ローマ帝国──どちらも「ローマ」という言葉を冠しているせいで、まるで同じ系譜にあるように思えますよね。でも実際は、時代も国の性格もぜんぜん違います。名前こそ似ているものの、中身はまったくの別物と言っていいんです。


この記事では、そんな「古代ローマ帝国」と「神聖ローマ帝国」の決定的な違いについて、政治制度・文化・世界観の観点からわかりやすくかみ砕いて解説します。



成立の目的がまったく違う

まず注目したいのが、それぞれの国家が何を目指していたのかという根本的なコンセプトのちがいです。


古代ローマ帝国は実利重視の支配国家

古代ローマ帝国は、紀元前1世紀にアウグストゥスが初代皇帝となって始まった、超中央集権的な軍事・行政国家。地中海世界の覇権を握り、実効支配と秩序の維持を最優先にした国家体制を築いていました。法、道路、軍隊、建築物、どれを取っても現実の統治のために動いていたわけです。


紀元1〜2世紀のローマ帝国最大領域地図

ローマ帝国の最盛期(1~2世紀)の領域
ローマ帝国の最盛期は地中海世界を一体化した広大な領土を誇ったが、神聖ローマ帝国の領土は主に中部ヨーロッパに限られ、規模も統治体制も大きく異なっていた。

出典:Kaiser&Augstus&Imperator / CC BY-SA 4.0より


神聖ローマ帝国は「ローマの後継」を名乗る象徴国家

一方、神聖ローマ帝国は962年にオットー1世が皇帝冠を授かって成立した国家で、目指したのは「キリスト教世界の秩序を象徴する存在」。ローマ帝国の名前を借りてはいますが、実態はほぼ名目と権威の国だったんです。


国家の構造が真逆だった

ふたつの「ローマ帝国」は、その支配体制にも決定的なちがいがありました。


古代ローマは中央集権

古代ローマでは、皇帝の命令は全土に行き渡り、属州には総督が派遣されて軍事・行政・税制を一元管理していました。国家としての骨組みは強固で、「ローマ=一つの国家」という実感があったんです。


神聖ローマは分権型

それに対して神聖ローマ帝国は、何百もの諸侯・都市・教会領がバラバラに存在する連合体。皇帝の命令といっても、地方ごとに無視されることも多く、「帝国」として一体化している感覚はほとんどなかったのです。


宗教との関係性が違っていた

ふたつの帝国は、宗教との向き合い方にも明確な差がありました。


古代ローマは多神教・後にキリスト教へ

古代ローマ初期はユピテルやミネルウァといった神々を信仰する多神教社会でした。3世紀以降にキリスト教が拡大し、コンスタンティヌス帝によって公認・国教化されますが、それは帝国後期の話。もともと宗教と国家は明確に分離されていました。


神聖ローマは教会とセット

神聖ローマ帝国は誕生の時点から教皇との結びつきが極めて強く、むしろ「皇帝と教皇がワンセット」でヨーロッパ世界を支配する構想のもとに作られた国でした。政治と宗教が不可分だったことが、のちの叙任権闘争や宗教改革にもつながっていくんです。


「古代ローマ帝国と神聖ローマ帝国の違い」まとめ
  • 成立の理念が違う:古代ローマは実務の帝国、神聖ローマは象徴と権威の帝国だった。
  • 国家構造が正反対:古代ローマは中央集権、神聖ローマは分権の寄り合い所帯だった。
  • 宗教との関係が異なる:古代は宗教と距離を置き、神聖ローマは宗教と一体だった。