
神聖ローマ帝国の「帝冠(たいかん)」―― ただの王冠とは違う、宗教・伝統・政治の象徴がギュッと詰まったこの特別な冠には、じつはめちゃくちゃ興味深い逸話やエピソードがいろいろあるんです。
この記事では、その神聖ローマ皇帝の帝冠にまつわる伝説や“やらかし”を、じっくり紹介していきます!
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神聖ローマ帝国の帝冠は、「八角形の金の冠」として有名です。
正式には「神聖ローマ皇帝冠(Reichskrone)」と呼ばれており、通常の王冠とはデザインも意味もまったく違ってました。
一般的な王冠は円形ですが、神聖ローマ帝国の帝冠は八枚の金板をつないで作られた八角形という超個性的デザイン。
しかも十字架や聖書の場面を彫った宝石装飾が施されていて、まるで宗教的な聖遺物みたいな作りなんです。
この冠は、皇帝の即位において単なる装飾品ではなく「正統性の象徴」でした。
つまり、どれだけ強い王様でも、この冠を手にしない限り“皇帝”とは認められなかったんです。
神聖ローマ帝国の皇帝たちは、帝国そのものを「古代ローマ帝国の後継者」だと主張していました。
だからこの冠も、「ローマ皇帝の象徴を受け継いだもの」っていう物語づけがされていたんです。
ただし、歴史的に見るとこの冠が作られたのは10世紀後半(オットー大帝の頃)と考えられており、 800年に戴冠したカール大帝自身はかぶっていなかった可能性が高いです。
でも後の皇帝たちは「カールの冠」ってことにしちゃって、“ローマの正統性”を演出していました。
皇帝になるには、「ドイツ王に選出されたあと、ローマで戴冠式」という流れが基本でしたが、 それを完了させる“儀式の頂点”がこの帝冠を戴く瞬間だったんです。
教皇の都合や戦乱、移動の危険などでローマに行けなかった皇帝も多く、 一部の皇帝はローマに行かずに国内で即位式を行って済ませたケースも。
でも「冠はかぶったよ!」と帝冠の存在だけは超重要視してました。
16世紀以降、皇帝位は事実上ハプスブルク家の世襲になっていきます。
すると、この帝冠も「国家の象徴」から徐々に「ハプスブルク家の家宝」扱いに変わっていくんです。
本来なら帝国の戴冠式用のアイテムですが、ハプスブルク家はこの冠をウィーンに持ち帰って厳重に保管。
結果として、帝冠はほぼウィーンから動かない“展示物”と化していきます。
ある時代には、新皇帝が選ばれてもウィーンから帝冠を借りる手配がつかないという事態も。
こうなってくると、もう「帝冠が正統性の象徴」という建前すら形骸化していたわけですね。
神聖ローマ帝国の帝冠は、ただの金ピカな王冠じゃありません。
宗教・伝統・政治のパワーを象徴する“動かない物語”として、千年近く帝国と共に歩んできた存在でした。
でもその神々しさの裏には、作られた伝承・使いづらさ・私物化といった人間くさい事情もチラホラ。
そんな「冠の物語」もまた、神聖ローマ帝国という“不思議な帝国”を象徴してるんです。