神聖ローマ帝国への悪口を言った人々

神聖ローマ帝国って、歴史的には千年近くも続いたすごい帝国なんですが、あまりにも“バラバラ”で“分かりにくい”存在だったせいか、後世の人々からけっこうボロクソに言われてきたんです。
しかも言ってるのが、歴史家や哲学者、政治家などのいわく付きの大物たち
この記事では、神聖ローマ帝国という“実態がつかめない帝国”に対して、彼らがどんな言葉をぶつけてきたのか、皮肉・批判・名言の数々をまとめてみました!

 

 

おなじみ“名前だけ立派”論

この帝国について語るうえで、まず絶対に出てくるのがこの一言。

 

ヴォルテール「神聖でもなければ、ローマでもなく、帝国でもない」

18世紀のフランスの哲学者ヴォルテールが、神聖ローマ帝国を評して放った超有名な名言です。
「この帝国は、神聖でもなく、ローマでもなく、帝国でもない」という三段否定で、“名前負け感”をこれ以上なく見事に表現してしまいました。
フランス革命前夜の啓蒙主義的視点から見ると、中世の遺物のような帝国にしか見えなかったんですね。

 

ナポレオン「存在すら中途半端」

ナポレオンは、神聖ローマ帝国の領邦たちを再編成してライン同盟をつくり、帝国そのものを解体に追い込んだ人物。その彼が帝国について「あれは名前だけの幻影にすぎない」と語ったとされます。
つまり、「権力も統一力もなく、敵としての価値すらなかった」というわけですね……。

 

ドイツ人にもバカにされがちだった

じつはこの帝国、ドイツ人たち自身からも微妙な評価を受けていたんです。

 

ゲーテ「ドイツ? それって地名か国家か?」

文豪ゲーテは、神聖ローマ帝国におけるドイツのあいまいさを皮肉って、「ドイツというのは地理的な名前であって、国家の名前ではない」と語ったことがあります。
それほどまでに帝国の中で「ドイツ」という国家意識は希薄だったわけです。

 

フリードリヒ大王「会議室だけ立派な空っぽ国家」

プロイセン王フリードリヒ2世(大王)は、帝国の“議会至上主義”を嘲笑して、「帝国議会だけはよくしゃべるが、何も決められない」と批判しました。
彼にとって神聖ローマ帝国は、「形だけの古臭い制度」でしかなかったんです。

 

でもちょっと愛されてた一面も

全否定されてばかりの神聖ローマ帝国ですが、実はちょっとノスタルジーや憧れを持たれていた一面もあるんです。

 

トーマス・マン「遅れてきたローマ」

作家トーマス・マンは、神聖ローマ帝国の中に「ローマ帝国の幻想を背負わされて苦しむドイツ」を見て、“遅れてきたローマ”という表現でその複雑な立場を理解しようとしました。
バラバラであることに悩みながらも、普遍的な秩序を夢見た――その姿に共感すら抱いていたのです。

 

「帝国」と呼ぶことで得られた威厳

たとえ中身はボロボロでも、「神聖ローマ帝国」と名乗ることで、政治的・宗教的な正統性を主張できたのも事実。
人々の心の中には、「理想としてのローマ」が生き続けていたからこそ、この国は“嘘の中に真実がある”ような、不思議な存在感を放っていたんです。

 

神聖ローマ帝国って、確かにバラバラでツッコミどころも満載。
でも「存在していたこと」自体が、当時の人々の理想と現実のせめぎ合いだったんですよね。
悪口の数々も、逆に言えばそれだけ“帝国”という名前に意味があったという証拠。
笑えて、ちょっと泣ける――そんな“愛すべき矛盾だらけの帝国”だったんです。