
神聖ローマ帝国って、その名前からして何だか壮大で、由緒正しい“理想の帝国”みたいに思われがちですよね。でも実際には、時代が進むごとにバラバラで非効率な巨大組織へと変貌していきました。
そのため、歴史上の多くの知識人や政治家から皮肉や悪口のオンパレードで語られる存在にもなってしまったんです。
この記事では、そんな神聖ローマ帝国に対する“手厳しい一言”を吐いた歴史人物たちを紹介しつつ、彼らがどうしてそんな評価を下したのか、その背景も解き明かしていきます。
もっとも有名なのが「神聖ローマ帝国って、名前だけじゃん」という痛烈なツッコミ。これ、実は18世紀にはすでに定番の皮肉だったんです。
この発言の代表格といえば啓蒙思想家ヴォルテール。彼が放ったのがあの有名な一言──
「神聖ローマ帝国は、神聖でもなければ、ローマ的でもなく、帝国ですらない。」― ヴォルテール『エッセイ集』
帝国の分裂状態や、ローマからの乖離、そして皇帝の権力の弱さを見事に一刀両断したこのフレーズは、まさに歴史的皮肉の金字塔です。
同じく啓蒙期の思想家。ヴォルテールほど直接的ではないものの、『法の精神』の中で帝国の政治体制について「諸邦の自立が法的にも容認されすぎている」「中心権力が希薄」と評し、統一性のなさ=制度疲労を指摘しています。
帝国内で現実に政治や戦争を経験した人たちからも、「もうやってられん」と言わんばかりのボヤきが漏れていました。
啓蒙専制君主として改革に挑んだ皇帝本人が、帝国にうんざりしていたことで有名です。各地の貴族や教会に阻まれ、改革は次々と頓挫。その中で残したとされるのがこの言葉──
私はこの帝国の第一の公務員にすぎない
― ヨーゼフ2世(書簡より)
皇帝なのに何も決められない、その無力さへの自嘲とも取れる発言です。
実質的な“女帝”として帝国政治を取り仕切ったマリア・テレジアも、帝国の制度については強い不満を持っていました。帝国会議(ライヒスターク)がまとまらないことに業を煮やし、「まるで声だけの合唱団」と揶揄したという記録もあります。
近代以降になると、帝国の制度そのものを“奇妙な存在”として語る歴史家たちも出てきます。
近代歴史学の父として知られるランケも、神聖ローマ帝国については「帝国の名を借りた封建連合」と評し、国家というよりは“制度的パッチワーク”だと見なしていました。
現代ドイツの政治思想家で、神聖ローマ帝国を「主権の空中分解状態」と表現。近代国家と比較して制度的な限界を批判的に語る一方、その“中間的な構造”が欧州連合に似ているという指摘も残しています。