
神聖ローマ帝国――その不思議な名前と、バラバラな実態で知られるこの帝国ですが、じゃあ「そもそもこの国、どこから来たの?」って聞かれると、意外と答えるのが難しいんですよね。
実はこの帝国の起源は、ひとつの出来事でパッと始まったわけじゃなくて、段階的に「ローマの後継」を名乗るプロセスの中で形作られていったんです。
この記事では、神聖ローマ帝国の“はじまり”がどこにあるのかを、歴史の流れに沿って見ていきましょう!
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神聖ローマ帝国の“起源”をたどると、まず出てくるのがフランク王国。
中世初期に西ヨーロッパを再統一したこのゲルマン系の王国が、すべての始まりなんです。
800年、フランク王国のカール大帝(シャルルマーニュ)がローマ教皇レオ3世から「ローマ皇帝」の冠を授かります。
この出来事は、西ローマ帝国の滅亡(476年)から約300年ぶりの“皇帝復活”であり、 「キリスト教世界の新しい中心はここにある!」というアピールでもありました。
このカールの帝国は「カロリング帝国」とか「西ローマ帝国の復活体」とは言われますが、 「神聖ローマ帝国」という名前が登場するのは、もっと後のこと。
つまりここでは“精神的な起源”が始まった、と考えておくのがいいですね。
カール大帝の死後、帝国は相続争いで三つに分かれます(843年・ヴェルダン条約)。
このうち東フランク王国が、のちの神聖ローマ帝国へと発展していきます。
この東フランク王国は、主に現在のドイツ語圏にあたる領域で構成されていて、 王たちはまだ「ローマ皇帝」ではなかったけど、カールの伝統を受け継ぐ“後継者意識”は持っていました。
ここで帝国の地理的・民族的なベースが固まり始めます。
東フランク王国の王オットー1世が、962年にローマ教皇から皇帝冠を授かったことで、 ようやく「ローマ皇帝の復活」が制度として再スタートします。
この瞬間こそが、神聖ローマ帝国の“公式な起点”とされることが多いんです。
実は「神聖ローマ帝国」という名前が最初から使われてたわけではありません。
この不思議なネーミングは、時代を経て少しずつ出来上がった政治的・宗教的なブランド戦略だったんです。
「神聖(Sacrum)」という言葉が使われ始めるのは1150年代以降で、 バルバロッサ(フリードリヒ1世)が皇帝の権威を強調するためにこの言葉を冠しました。
つまり、「自分の支配は神の意志に基づくんだぞ」という正統性アピールです。
「神聖ローマ帝国(Heiliges Römisches Reich)」という名称が定着してくるのは13世紀後半〜14世紀。
さらに1512年、帝国議会によって正式に「神聖ローマ帝国のドイツ民族(の国)」というフルネームが採択されます。
神聖ローマ帝国って、ある日いきなり「できた!」って国じゃないんです。
フランク王国→カール大帝→東フランク→オットー1世という流れの中で、 少しずつ「ローマの正統な後継者」というイメージを作り上げていった存在なんですね。
神聖ローマ帝国の起源は、カール大帝の皇帝戴冠(800年)と、オットー1世の皇帝即位(962年)の2つの出来事に分けて考えるのがポイントです。
「精神的なはじまり」と「制度的なスタート」――
この両方を意識すると、神聖ローマ帝国がなぜ“ふわっと”してるのかも見えてくるんですよ。