神聖ローマ帝国の王朝─皇帝位をめぐる血の系譜

神聖ローマ帝国の王朝

神聖ローマ帝国の歴代王朝は、帝国の性格と政治構造の変化を反映している。最初の王朝はカロリング朝で、理念上の起源を担ったが、実質的な建国はザクセン朝(オットー1世)から。続いてザーリアー朝、シュタウフェン朝が中央集権化を進め、フリードリヒ1世・2世などの名君を輩出した。中世後期以降はルクセンブルク朝、ヴィッテルスバッハ朝、ハプスブルク朝などが皇帝位を継承。特にハプスブルク家は15世紀以降ほぼ常に皇帝を出し、帝国の顔として君臨した。

神聖ローマ帝国の歴代王朝一覧

王朝名 在位期間 代表的な皇帝 特徴
カロリング朝 800年~911年 カール大帝(742–814) ローマ皇帝としての称号を復活させた初の西欧君主
コンラディン朝 911年~919年 コンラート1世(890頃–918) フランク系最後の王朝で、短命に終わる
ザクセン朝(オットー朝) 919年~1024年 オットー1世(912–973) 962年に神聖ローマ帝国として正式に帝冠を得た
ザーリアー朝 1024年~1125年 ハインリヒ4世(1050–1106) 叙任権闘争で教皇と対立、皇帝権が試される
ズップリンブルク朝 1125年~1137年 ロタール3世(1075–1137) 帝国の統一維持に苦戦した中継ぎ的王朝
ホーエンシュタウフェン朝 1138年~1254年 フリードリヒ1世(1122–1190)
フリードリヒ2世(1194–1250)
皇帝権の最盛期を築くも教皇と対立し断絶
大空位時代 1254年~1273年 王朝が空白となり、皇帝不在の混乱期
ハプスブルク朝(前期) 1273年~1308年 ルドルフ1世(1218–1291) 帝国再建をめざすが王朝継続には至らず
ルクセンブルク朝 1308年~1437年 カール4世(1316–1378) 金印勅書で選帝侯制度を整備、プラハを中心に栄える
ハプスブルク朝(後期) 1438年~1806年 マクシミリアン1世(1459–1519)
カール5世(1500–1558)
長期支配を確立し、帝国を欧州最大級の国家群へ


中世から近代まで長く続いた神聖ローマ帝国の歴史。皇帝の名が数十人も並ぶ系譜を見ていると、「いったいどこで区切ればいいの?」と迷ってしまうこともありますよね。実際には、この千年帝国は時代によって王朝も政治スタイルもがらりと変化していて、同じ帝国とは思えないほどの違いがあります。


そこで今回は、神聖ローマ帝国を初期・中期・後期の3期に分けて、それぞれに登場した主要な王朝やその特徴をわかりやすくかみ砕いて解説していきます。



初期:皇帝の威信が強かった時代

神聖ローマ帝国の始まりから、皇帝の権威がまだしっかりしていた時代を見ていきましょう。


カロリング朝(800年~911年)

初代皇帝カール大帝(シャルルマーニュ)に始まる王朝。フランク王国の延長線上にあり、教皇から戴冠を受けたことで「ローマの後継者」としての正統性を得ました。ただし、この王朝は西フランク・東フランクに分裂していき、やがて消滅してしまいます。


ザクセン朝(オットー朝)(919年~1024年)

ドイツ系君主として初めて皇帝の座に就いたのがオットー1世(962年戴冠)。この王朝ではイタリア政策教会支配が積極的に行われ、皇帝の力はまだかなり強かったんです。帝国の基礎を築いたといえる時期ですね。


ザーリアー朝(1024年~1125年)

有名なのが叙任権闘争。皇帝ハインリヒ4世が教皇グレゴリウス7世とバチバチに対立し、「カノッサの屈辱」で一躍有名になります。この時代から、皇帝と教会の力関係がだんだん拮抗してくるんですね。


中期:皇帝と諸侯のせめぎ合い

皇帝の力が衰え、領邦の自治が進む中期は、まさに“分裂と調整”の連続でした。


シュタウフェン朝(1138年~1254年)

フリードリヒ1世(バルバロッサ)フリードリヒ2世のようなカリスマ皇帝が登場。南イタリアやシチリアも統治し、「神聖ローマ帝国の黄金時代」とも言われる時期です。ただし、その支配は決して安定しておらず、諸侯や教皇との衝突も絶えませんでした。


大空位時代(1254年~1273年)

皇帝不在で混乱を極めた約20年間。諸侯たちは好き勝手にふるまい、帝国のまとまりはほぼゼロに。この時期があまりにもカオスだったため、次の王朝は「秩序の回復」を掲げることになります。


ハプスブルク朝(1273年~1308年)

ルドルフ1世が即位し、名門ハプスブルク家が表舞台に登場。この時点ではまだ不安定ですが、後の長期支配の布石となる重要なステップでした。


後期:ハプスブルク家の独壇場

近世以降の神聖ローマ帝国は、ハプスブルク家がほぼ独占的に皇帝位を握る時代となります。


ハプスブルク朝(1438年~1740年)

例外的な時期を除き、皇帝はずっとハプスブルク家出身。とくにカール5世の時代には、スペイン王も兼ねて「日の沈まぬ帝国」を築きました。ただし、その広大さが逆に帝国のまとまりを弱め、実際の支配力は限定的になっていきます。


ハプスブルク=ロートリンゲン朝(1745年~1806年)

マリア・テレジアの結婚により、ハプスブルクの血統を継ぐフランツ1世が新王朝「ハプスブルク=ロートリンゲン朝」を開始。神聖ローマ帝国最後の皇帝フランツ2世(在位1792-1806)もこの家系です。ナポレオンの登場によって、帝国はついに終焉を迎えます。


帝国の終焉(1806年)

ナポレオンの圧力に屈し、フランツ2世が帝位を放棄。ここに、約1000年続いた神聖ローマ帝国の歴史が幕を下ろしたのです。


「神聖ローマ帝国の歴代王朝」まとめ
  • 初期:カロリング・ザクセン・ザーリアーなど、皇帝の権威が強かった。
  • 中期:シュタウフェン朝と大空位時代を中心に、教皇や諸侯との対立が激化。
  • 後期:ハプスブルク家が実質的に皇帝位を世襲し、帝国の象徴的存在に。