
王朝名 | 在位期間 | 代表的な皇帝 | 特徴 |
---|---|---|---|
カロリング朝 | 800年~911年 | カール大帝(742–814) | ローマ皇帝としての称号を復活させた初の西欧君主 |
コンラディン朝 | 911年~919年 | コンラート1世(890頃–918) | フランク系最後の王朝で、短命に終わる |
ザクセン朝(オットー朝) | 919年~1024年 | オットー1世(912–973) | 962年に神聖ローマ帝国として正式に帝冠を得た |
ザーリアー朝 | 1024年~1125年 | ハインリヒ4世(1050–1106) | 叙任権闘争で教皇と対立、皇帝権が試される |
ズップリンブルク朝 | 1125年~1137年 | ロタール3世(1075–1137) | 帝国の統一維持に苦戦した中継ぎ的王朝 |
ホーエンシュタウフェン朝 | 1138年~1254年 | フリードリヒ1世(1122–1190) フリードリヒ2世(1194–1250) |
皇帝権の最盛期を築くも教皇と対立し断絶 |
大空位時代 | 1254年~1273年 | ― | 王朝が空白となり、皇帝不在の混乱期 |
ハプスブルク朝(前期) | 1273年~1308年 | ルドルフ1世(1218–1291) | 帝国再建をめざすが王朝継続には至らず |
ルクセンブルク朝 | 1308年~1437年 | カール4世(1316–1378) | 金印勅書で選帝侯制度を整備、プラハを中心に栄える |
ハプスブルク朝(後期) | 1438年~1806年 | マクシミリアン1世(1459–1519) カール5世(1500–1558) |
長期支配を確立し、帝国を欧州最大級の国家群へ |
中世から近代まで長く続いた神聖ローマ帝国の歴史。皇帝の名が数十人も並ぶ系譜を見ていると、「いったいどこで区切ればいいの?」と迷ってしまうこともありますよね。実際には、この千年帝国は時代によって王朝も政治スタイルもがらりと変化していて、同じ帝国とは思えないほどの違いがあります。
そこで今回は、神聖ローマ帝国を初期・中期・後期の3期に分けて、それぞれに登場した主要な王朝やその特徴をわかりやすくかみ砕いて解説していきます。
神聖ローマ帝国の始まりから、皇帝の権威がまだしっかりしていた時代を見ていきましょう。
初代皇帝カール大帝(シャルルマーニュ)に始まる王朝。フランク王国の延長線上にあり、教皇から戴冠を受けたことで「ローマの後継者」としての正統性を得ました。ただし、この王朝は西フランク・東フランクに分裂していき、やがて消滅してしまいます。
ドイツ系君主として初めて皇帝の座に就いたのがオットー1世(962年戴冠)。この王朝ではイタリア政策や教会支配が積極的に行われ、皇帝の力はまだかなり強かったんです。帝国の基礎を築いたといえる時期ですね。
有名なのが叙任権闘争。皇帝ハインリヒ4世が教皇グレゴリウス7世とバチバチに対立し、「カノッサの屈辱」で一躍有名になります。この時代から、皇帝と教会の力関係がだんだん拮抗してくるんですね。
皇帝の力が衰え、領邦の自治が進む中期は、まさに“分裂と調整”の連続でした。
フリードリヒ1世(バルバロッサ)やフリードリヒ2世のようなカリスマ皇帝が登場。南イタリアやシチリアも統治し、「神聖ローマ帝国の黄金時代」とも言われる時期です。ただし、その支配は決して安定しておらず、諸侯や教皇との衝突も絶えませんでした。
皇帝不在で混乱を極めた約20年間。諸侯たちは好き勝手にふるまい、帝国のまとまりはほぼゼロに。この時期があまりにもカオスだったため、次の王朝は「秩序の回復」を掲げることになります。
ルドルフ1世が即位し、名門ハプスブルク家が表舞台に登場。この時点ではまだ不安定ですが、後の長期支配の布石となる重要なステップでした。
近世以降の神聖ローマ帝国は、ハプスブルク家がほぼ独占的に皇帝位を握る時代となります。
例外的な時期を除き、皇帝はずっとハプスブルク家出身。とくにカール5世の時代には、スペイン王も兼ねて「日の沈まぬ帝国」を築きました。ただし、その広大さが逆に帝国のまとまりを弱め、実際の支配力は限定的になっていきます。
マリア・テレジアの結婚により、ハプスブルクの血統を継ぐフランツ1世が新王朝「ハプスブルク=ロートリンゲン朝」を開始。神聖ローマ帝国最後の皇帝フランツ2世(在位1792-1806)もこの家系です。ナポレオンの登場によって、帝国はついに終焉を迎えます。
ナポレオンの圧力に屈し、フランツ2世が帝位を放棄。ここに、約1000年続いた神聖ローマ帝国の歴史が幕を下ろしたのです。