神聖ローマ帝国の王朝

神聖ローマ帝国の王朝

このカテゴリーでは神聖ローマ帝国の王朝に関する情報をまとめています。カロリング家からハプスブルク家に至るまでの系譜とその政治的影響力を通して、帝国支配の変遷を探っていきたいと思います。

神聖ローマ帝国の王朝一覧

神聖ローマ帝国は、約1000年にわたって続いた超長寿の“帝国ブランド”ですが、実際にそのトップに立った王朝(王家)は何度も入れ替わっているんです。
しかもこの王朝交代、単なる血統の話じゃなくて、皇帝と選帝侯、教皇、諸侯たちのパワーバランスのドラマがギュッと詰まっているんですよ。
この記事では、神聖ローマ帝国を支えた歴代の主要な王朝(家門)を一覧形式でご紹介しながら、それぞれの特徴もざっくり押さえていきます!

 

 

神聖ローマ帝国の王朝一覧

以下の表は、962年のオットー1世による「帝国再建」以降の、主要な王朝を時系列で並べたものです。

 

王朝名 在位期間 代表的な皇帝 特徴
ザクセン朝 919–1024 オットー1世 「神聖ローマ帝国の始まり」を築いた王朝。オットー大帝が皇帝として戴冠。
ザーリアー朝 1024–1125 ハインリヒ4世 叙任権闘争で教皇とバチバチ。皇帝権の限界が見えてきた時代。
ズップリンブルク朝 1125–1137 ロタール3世 短命ながら、ハインリヒ5世の死後の“つなぎ役”となった王朝。
ホーエンシュタウフェン朝 1138–1254 フリードリヒ1世(バルバロッサ)、フリードリヒ2世 皇帝権の最盛期とイタリア政策の激化。文化・学問も開花。
ナッサウ朝 1292–1298 アドルフ・フォン・ナッサウ 大空位時代の後に現れた“短命の暫定王朝”。
ルクセンブルク朝 1308–1437 カール4世 金印勅書(1356)で皇帝選出のルールを確立。文化保護も盛ん。
ヴィッテルスバッハ朝 1314–1347(断続的) ルートヴィヒ4世 皇帝と教皇の正統性争いで大荒れ。バイエルン家の王朝。
ハプスブルク朝 1438–1740 マクシミリアン1世、カール5世 ほぼ独占状態で皇帝を出し続けた“帝国の本家”。
ロートリンゲン=ハプスブルク朝 1745–1806 フランツ2世 マリア・テレジアの結婚を機に継承。帝国解体までのラスト王朝。

 

王朝交代はなぜ起こる?

神聖ローマ帝国の皇帝は、基本的に世襲ではなく選挙で選ばれるというのが特徴でした。
そのため、実力・人望・お金・外交の要素がそろわないと継承できず、王朝が途切れることもしばしば。

 

選帝侯がカギを握っていた

7人(のちに8人、9人)で構成された選帝侯たちが皇帝選出の決定権を持っていたので、「この家は強くなりすぎたから別の家にしよう」といったバランス感覚で王朝を選ぶ傾向がありました。

 

“永久皇帝”になったハプスブルク家

それでも最終的には、圧倒的な婚姻戦略と領土支配によって、ハプスブルク家が皇帝位を実質的に独占
帝国後期は「皇帝=ハプスブルク」と言っても過言じゃない状態になっていくのです。

 

神聖ローマ帝国の王朝を追っていくと、「一つの家が支配する帝国」ではなく「いろんな家が順番に担った帝国」だったことがよくわかります。
そしてそれぞれの王朝に、その時代ならではの課題と戦い方があったんですね。
歴代王朝を見渡すことで、帝国そのものの“揺れ幅”と“粘り強さ”が見えてきますよ。