
神聖ローマ帝国とナチス・ドイツ(第三帝国)──どちらも「ドイツの帝国」を名乗り、ドイツ史の中で“帝国”という言葉を引き継いでいます。にもかかわらず、神聖ローマ帝国の象徴だった「双頭の鷲」は、ナチスの時代には採用されませんでした。代わりに登場したのが単頭の鷲(ライヒスアドラー)とハーケンクロイツ(鉤十字)を組み合わせたナチ党独自のエンブレムです。
ではなぜ、第三帝国は神聖ローマ帝国の象徴をあえて“継承しなかった”のでしょうか?この記事では、そこに隠された歴史認識・イデオロギー・政治的意図を、わかりやすくかみ砕いて解説していきます。
まず前提として、神聖ローマ帝国の「双頭の鷲」には、ナチスの目指した国家像とは真逆の意味が込められていました。
神聖ローマ帝国の双頭の鷲は、左右それぞれが東と西を向き、ローマ帝国の“普遍性”を受け継ぐ象徴でした。そこにはキリスト教世界を超えた超国家的秩序という思想があり、「民族」よりも「秩序」や「宗教」が重視されていたんです。
さらにこの紋章は、教皇と皇帝が共存する世界観──つまり中世のキリスト教的秩序と深く結びついていました。これはナチスが否定したい“古いヨーロッパ”の象徴でもあったのです。
ナチスが重視したのは、神や普遍的秩序ではなく民族・血統・国家主義。そのため、あえて中世的象徴を避け、より“民族ドイツ”にふさわしいイメージを構築しようとしました。
ヒトラーは「ドイツは再び強い国家になる」と宣言するなかで、単頭の鷲(ライヒスアドラー)を採用。これはドイツ帝国(1871年~1918年)時代の象徴であり、中央集権的で軍事的な国家像を演出するうえで都合がよかったのです。
神聖ローマ帝国ではキリスト教が権威の源でしたが、ナチスは民族主義とアーリア人種の優越を基盤とした「人種的な帝国」を目指しました。つまり“普遍的な帝国”ではなく、“民族的な帝国”だったのです。
ナチスは神聖ローマ帝国を「第一帝国」と見なし、自らをその“第三”と称しましたが、そこに連続性はなく、むしろ「過去を超越する存在」としての優位性をアピールしていました。
神聖ローマ帝国は分権的でバラバラな連合体という印象が強く、ナチスの理想とする「強く統一された国家」とは正反対。そのため「双頭の鷲」も、分裂・古臭さ・宗教依存の象徴として忌避されたのです。
ナチスはプロパガンダと視覚イメージを極めて重視しており、ハーケンクロイツと単頭の鷲の組み合わせは、力強さと秩序の両方を象徴する新しい“帝国の顔”としてデザインされました。過去の流用ではなく、未来のドイツを象徴する独自のアイコンを作りたかったという狙いもあったんです。