
ニュルンベルク
神聖ローマ帝国の重要な帝国都市であり、皇帝の即位式や帝国議会の開催地として政治・経済の中心を担った
出典:1493年『ニュルンベルク年代記』の木版画 / Public Domainより
中世から近世にかけて、ヨーロッパの中心に君臨していた神聖ローマ帝国。その広大な領域には、政治・経済・宗教・文化など、さまざまな役割を担う都市が点在していました。皇帝の戴冠が行われる聖なる都もあれば、遠くから商人が集う経済のハブもある。あるいは、芸術や思想が花開いた文化の拠点も……。
この記事では、そんな神聖ローマ帝国の主要都市たちをジャンル別に整理し、それぞれの都市がどんな役割を果たしていたのか、わかりやすくかみ砕いて解説します。
皇帝の戴冠式や選挙、帝国会議などが行われた、いわば“皇帝御用達”の場所を見ていきましょう。
カール大帝の戴冠地として知られ、11世紀以降は歴代皇帝の戴冠式が行われた宗教的かつ政治的な聖地。帝国の象徴的な場所として長く重んじられていました。
1356年の「金印勅書」で、皇帝選出の選挙都市に指定。選帝侯たちがここに集まり、新たな皇帝を決めるという神聖ローマ帝国の根幹イベントが行われた重要都市です。
神聖ローマ皇帝の即位後最初の帝国会議を開く場所とされた都市。帝国宝物(帝冠や聖槍)が保管されていたこともあり、“帝国の中心”とみなされていた都市の一つです。
帝国の宗教的中心地として特別な地位を誇った都市も多く、巡礼の目的地や大司教座が置かれた場所は、とりわけ神聖視されていました。
大司教座が置かれたカトリック教会の大拠点。その影響力は帝国内でも随一で、フランス語圏にも通じる文化的橋渡し役も果たしていました。
選帝侯の中でも最重要とされたマインツ大司教が拠点とする都市。教皇と皇帝の板挟みになることも多く、神聖ローマ帝国内の教権の象徴でした。
バイエルン地方の古都で、16世紀からは常設帝国議会の開催地にもなった宗教と政治の交差点。宗教改革以後もカトリック色が濃く、信仰の砦とされていました。
学問、芸術、印刷文化の発展で名を馳せた都市たちは、“帝国の頭脳”とも呼べる存在でした。
法学と哲学の中心地として名高く、大学都市として発展。また書籍見本市の開催地でもあり、出版文化の隆盛を支えました。
神学教育の場として知られ、若きマルティン・ルターが学んだ地でもあります。修道会と大学が共存し、学問と信仰が交錯する知の都でした。
神聖ローマ帝国でも最古級の大学を擁する都市で、15世紀からの人文主義運動の舞台でもありました。選帝侯プファルツ家の本拠地でもあり、文化的に華やいでいました。
物流・金融・手工業──それぞれの強みを活かして帝国の経済を回していた都市たちも重要な存在でした。
ハンザ同盟の盟主として、北海・バルト海貿易の中心地を担った商業都市。神聖ローマ帝国の対外貿易をけん引した立役者でした。
富豪商人フッガー家の拠点として栄え、鉱山資源と銀行業で経済的に巨大な影響力を誇った都市。金融の力が政治にまで及んだ好例でもあります。
上で帝都としても情かいしたニュルンベルクは経済都市としても重要でした。地理的にドイツ中部に位置し、手工業や交易の集積地としても抜群の利便性。文化・政治・経済のすべてを兼ね備えた“万能都市”として再評価されるべき存在です。