神聖ローマ帝国の戦争

神聖ローマ帝国の戦争

このカテゴリーでは神聖ローマ帝国の戦争に関する情報をまとめています。対外戦争から内戦、宗教戦争に至るまで、多様な武力衝突を通して帝国の動乱と変遷を探っていきたいと思います。

神聖ローマ帝国戦史

神聖ローマ帝国といえば、「皇帝がいるのにバラバラな国」ってイメージが強いですよね。
でも、その歴史をよく見ていくと、実はけっこう戦ってるんです。しかも相手は外敵だけじゃなく、帝国内部でも戦争が絶えなかったという……。
この記事では、神聖ローマ帝国の長い歴史を通して注目すべき戦争・軍事衝突を時代順にピックアップしながら、帝国がどんなふうに戦い、どう変化していったのかを分かりやすくまとめていきます!

 

 

中世前期:帝国の拡大と皇帝の遠征

成立直後の神聖ローマ帝国では、皇帝自身が軍を率いて周辺諸国へ出陣するのが一般的でした。
この時代はまだ「帝国=皇帝の軍事力」だったんですね。

 

オットー1世のレヒフェルトの戦い(955年)

東フランク王国(のちの神聖ローマ帝国)のオットー1世が、ドナウ川流域に侵入してきたマジャール人(ハンガリー系遊牧民)を撃退。
この勝利によって皇帝としての軍事的正当性を手に入れ、のちの戴冠につながります。

 

イタリア政策と教皇派・皇帝派の抗争

皇帝たちはイタリア半島へ遠征し、ローマ教皇と関係を築こうとしましたが、そのたびにロンバルディア同盟や教皇支持派との戦争に巻き込まれました。
特にフリードリヒ1世(バルバロッサ)は、北イタリアの都市とたびたび衝突します。

 

中世後期:内乱と騎士の時代

この時期になると、外敵との戦争よりも帝国内の権力争いが目立ってきます。
各地の諸侯や都市が自前の軍を持ち、小規模な戦争が頻発するようになりました。

 

皇帝と諸侯の対立:大空位時代(1250〜1273年)

皇帝不在となったこの時代、帝国内は群雄割拠の戦国時代みたいな状態に。
騎士たちの略奪や都市同士の争いが頻発し、秩序の回復が急務となりました。

 

都市同盟(シュタットブント)の武装衝突

各都市が防衛のために同盟を結成し、ときに軍事行動を行います。
代表的なのがシュヴァーベン都市同盟で、対立する貴族と武力で対抗しました。

 

近世初期:宗教戦争の時代

宗教改革をきっかけに、帝国内部の対立は「信仰の違い」という深刻な分断に発展。
この時代は帝国にとってもっとも血なまぐさい時代のひとつでした。

 

シュマルカルデン戦争(1546–1547年)

ルター派のプロテスタント諸侯が結成したシュマルカルデン同盟と、カール5世率いる皇帝軍との戦争。
皇帝側が勝利するも、宗教の統一には失敗し、のちの三十年戦争への伏線となります。

 

三十年戦争(1618–1648年)

神聖ローマ帝国最大の内戦にして、ヨーロッパ全土を巻き込んだ大戦争
宗教対立に加え、外国勢力(フランス、スウェーデンなど)の介入で帝国全体が荒廃しました。
皇帝軍(カトリック)とプロテスタント同盟軍、さらに外敵が入り乱れた泥沼の戦いとなり、最終的にウェストファリア条約で帝国は“名ばかりの存在”へと後退します。

 

近世後期:皇帝軍と帝国軍の分裂

17世紀以降、皇帝直属の「皇帝軍(カイザーリッヒェ・アルメー)」と、帝国諸邦から徴兵される「帝国軍(ライヒスヘーア)」が区別されるようになります。
このころになると、皇帝=オーストリア家の君主という側面が強くなり、戦争も“オーストリア”中心に展開されます。

 

スペイン継承戦争(1701–1714年)

ハプスブルク家の継承問題をめぐり、フランス・バイエルン連合と皇帝軍が衝突。
帝国としての一体感はほぼなく、個別国家の戦争という色が強くなります。

 

オーストリア継承戦争(1740–1748年)

マリア・テレジア即位をめぐり、プロイセンやフランスと戦争。
ここでも神聖ローマ帝国の諸侯は中立または敵に回ることもあり、帝国のまとまりはすでに崩壊状態。

 

終末期:ナポレオン戦争と帝国の解体

18世紀末、フランス革命からナポレオン戦争に至る流れの中で、神聖ローマ帝国は致命的な打撃を受けます。

 

第一次・第二次対仏大同盟戦争(1792–1801年)

ナポレオンに対抗するため、神聖ローマ帝国も諸侯を動員。
でもバラバラな戦力では太刀打ちできず、敗北と譲歩を繰り返します。

 

ライン同盟と1806年の解体

ナポレオンは南ドイツの諸侯を集めてライン同盟を結成し、事実上帝国から切り離します。
その結果、皇帝フランツ2世は皇帝位を放棄し、帝国は正式に解体されました。

 

神聖ローマ帝国の戦史をたどると、「戦争によって拡大した帝国」が「内戦と外圧によって崩壊していく」流れがよく見えてきます。
外からの敵だけでなく、中からの分裂に常に悩まされていたのが、この帝国の宿命でした。
でもそのぶん、戦争のかたちや意味が時代によってどんどん変わっていくのが、すごく面白いところでもあるんです。